2022年11月26日土曜日

こんなことをどうとらえるか。

 先月の給与が、実勤務時間とは異なっていた。

(と思う。私が勘違いしているのせいがある涙)

2か所で働いている自分だが、2か所とも異なっている月となった。


間違えたのは、自分に落ち度がある。

入力間違いや未入力など。


だが、支払い側にも確認する必要もあるだろう。とちょっとは思いたい。

(自分からの逃げだが)

信頼してくれているのはありがたいが、シビアな確認もお願いしたい。


どっちもどっちな結果、自分の給与が少なかった、からなのか。

つい恨み節になる。そんな自分の心理状態とはいかに。


余裕があれば、そんなときもあるよね、自分にも落ち度があるけれど、相手にも無くはない。どっちもどっちじゃないか~~(笑)

となるかもしれない。


私の中に、「こんなにやっているのに」という傲慢さがあったのだろう。

まちがいの発生は悪意なき事なのはわかっているし、このタイミングで2か所とも、というのも意味が無いのはわかる。

ただ、天にも見放されたのか。私は何か悪いことでもしているのか。こんなに頑張っているのに。


そんな思いが湧いてきてしまったのだ。


誰でもなく、天、宇宙、神様的な存在への恨みとなったのだ。

それはつまり、自分自身への恨みなのだ。。。

まだまだ自分を信じていないし、愛してもいないことが露呈され、

この状況をどうとらえたらいいのか…

 飲んで寝る

くらいしか思いつかない乏しいやつなのだ。


もともと自分の役割が複数あるのだが、最近それぞれが重く感じ、切なくなる時がある。

好きな酒を飲めば深く眠れず、やめた方が快適なこともわかり、

辞めたときの爽快感はあるけれど、

この悶々とした自分への疑いから逃れるには酒を飲みたい衝動に駆られる。


大好きなフィットネスが、唯一自分の中のいろんな役割から解き放たれ、

私という個人でいられる、さらに楽しく開放的で快楽を味わえる時間となっている。


だからか。。。

頻繁に通っているのだ。

ほんとうに。ありがたい存在。


肝の小さな自分にほとほと嫌気もさすが、そういう自分として生まれてここまで来たのだろう。それはそれで、生きているだけでありがたいということだ。

こんな存在も必要なのだろう。と感じる時もある。

私は一体何を望んで毎日生きているのだろうか。


そんなこと考えて生きるのは本望じゃない気もする。


その日一日一日を大切に快適に、生きるだけ。そう言い切れる自分に早くなりたい。

そろそろカラオケでの個人練習から卒業したい。
FireBirdは喉をつぶす…


2022年11月18日金曜日

どんな世界を目指すのか。

時が経つのが早い。と感じる。
一年がまるで3か月だ。
歳を重ねるごとに、時が経つのが早いと感じると聞いたことがる。
なぜだろう。

と、それを考えることに時間を費やすより、他に時間を費やしたい。

自分の周りの環境、人間関係、仕事、趣味、ボランティアなど。
自分が今目指していることってなんだろうか。
そんなこともわからず生きていたのか?
いや違う。
明確に目的をもってそれに向かって常に生きているのではなく、
無意識で自分の求める世界はありつつも、
周りの環境を受け入れ、受け入れられないことは避け、
快適さを求めその都度自分の感覚と気持ちに向き合い日々暮らしている、つもりだ。

複雑な中で、いろいろ考えたいけれど、
各分野のことをつなげて考える時間が取れていなかったと気づいた。

正直、そういうことを考えることはめんどくさい。
でも誰かとの会話の中で、気づくことは多い。

快適に暮らしたい。ただそれだけかもしれない。
「快適」には、すべての面においてなので、優先順位を決める時にありがたい感覚だ。

家にいてイライラすることが多い自分は、
どこで何をしていても、結局家のことがおざなりな奴が何ができるのだ、
と、自分で自分を卑下してしまっている。
なんというか、すべてを完璧に自分の思う通りにしたいという傲慢さを手放し、
今のありのままの自分でよいのだ、と
いつでも思える自分になりたいものだ。
いまだにこうして娘の誕生日を祝える幸せよ。
にしても、私活舌が悪いのかな。。。名前違う。





2022年11月9日水曜日

次々と起こる、新しい扉を開く現象。

 よく、スピリチュアルな世界では、もう地の時代は終わり、今は風の時代だという。

人の意見で流されたりするのではなく、

自分がどうしたいかを決める事とか、

お金や数字にとらわれることなく、やりたいことを思うままにやれば、

気づけばやれている、なりたい自分になっている、とか。


固定概念に縛られることなく、

わがままに見える人が、自由で快適に暮らせるようになる、そんな時代なのかもしれない。


わがままに生きるのはいいことだと思うが、

人が不快になる行為を人にする(攻撃するなど)は、

まだまだ地の時代の生き方だと思うので

そういう人が周りにいたら、私はその人から自然と離れるであろう。


とにかく。時間の流れが速く感じるのは経年のせいであるとは思うが、

それにしても、環境が変わったり、やりたいことができるようになったり、

想像もしていないことをやることとなったり、

思いもしない出会いが生まれたり、

予想もしないことだけど、それは新しい経験だったり、その後に必要になることだったり、

ちゃんとうまく人生ってできているなぁと感じることが多い。

特に、新しいコトをする、未体験のことをするということが増えた気がする。


毎日朝起きる事も、未体験ではあるのだけども。

そういうことではなく、日々同じことの繰り返しに感じることが毎日少なく、

毎日、何かしら面白いことが起こり、同じことでも新しく感じたりするのは、

自分の意識がそうさせているだけなのか。

にしても、自分の中だけで感じるには限界のある、もっと人やコトが関わることですら

そう感じることが多くて、毎日が刺激的だ。

たまに疲れてしまうけれど、面白いと感じるうちは幸せなことだ。


もちろん、理不尽だったり、怒りだったり、恐怖だったりもあるけれど、

それすら面白いと感じるようになってきた気がする。

自分のことを俯瞰して見れるときが増えてきた気がする。やばいのかな(笑)


とにかく今は、やりたいことをやれるだけやって。

それは仕事や家事などやるべきこと以外の、自分が本当に今やりたいこと(くだらないことでも)をやって、今幸せだなぁと感じたいものだな、とつくづく思う。

食べたいなぁと思って行ったら、ちゃんと行けて、個室でゆっくりさせてもらえた。
こういう時間、贅沢だけれど金額以上の満足度だ。





2022年11月6日日曜日

初めてかもしれない。

 以前ここに綴った、悩みというか、困惑している音楽活動について。

先日、人前で演奏する機会があり、その際に苦手とするソロを演奏した。

とはいえ、楽譜があり、さらには暗譜もせず楽譜を見ながらソロを吹く機会があった。


楽譜があるから安心という気もちが強かったのか、わからないが、

はじめてソロで緊張しなかった。

さらには、吹いていて気持ちが良い、と感じた。

これは、今までの経験の中で初めてかもしれない。


多分、焦りとか、不安とかが無く演奏できたからではないか。

とはいえ、ライトを浴び、自分一人だけの音がホールに響くわけで。

それだけで緊張していたはずだが、今回はまるで緊張しなかった。


年を重ねて緊張しなくなったのか、とも思ったが、他の場面で緊張するときにはしている。心拍数が上がるのも感じるし、人前で話し緊張するときは声が上ずる。


ということは、この時の緊張感のなさと、演奏して気持ちよかったと思えたということはどういうことなのだ?


練習を重ねてきたので、楽譜通りには吹けるという自信は確かに生まれていたかもしれない。

ということは、

練習を回数重ねることは重要な事なのだろう。

さらには、その練習で手ごたえを得ることも。


人前で気持ちよく吹けるその心理に、この年になってようやくたどり着いた気がした。


ということは、12月に控えているコンサートではさらに大きなソロがあるので、もっともっと練習をしないといけない。まだ楽譜すら出来上がっていないが、ちょっと書けそうな気もしてきた。


ますます練習をして、本番では自分が気持ちよく演奏できるようにしたいと心から思った。

まだまだ成長する伸びしろがあるってことですな。

とはいえ、吹いている姿は見たいとは思えない。。。


これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...