2022年1月29日土曜日

ぜいたくな悩み。

 イライラをコントロールする力は、人として必要か。

人にイライラをぶつけない力は必要だと思う。

客観的に自分を見る余裕が必要で、

他人を思いやる余裕も必要で。

なぜそれが必要かと考えることができる余裕も必要で。


結果、時間的余裕や、精神的余裕が必要、ということか。


自分勝手、わがままと。

好きなことをする。

とは全く違うこと。

それをはき違えてしまうと、

周りにいる人や関わっている人が迷惑をこうむる。


迷惑にもいろいろある。

私にとって迷惑と感じるのは、


・時間を奪われること

・感情を逆なでされてしまうこと


快適な日々を過ごすには、自分のことと周りのこととを

ともに考えて暮らすこと。

一人では生きていけないのはわかりきっていることなので。


それでもイライラすることはある。

一呼吸置く。ここで怒っても何もいいことがない。

さらっと流す。(それができればいいのだけど)


距離を置く。離れることも大事。

気分転換をする。自分の存在は宇宙から見たらちっぽけだと感じる。

命は限りがあり、いつ終わるかわからないものだと改めて感じる。


そうすると大抵のことはなんてことないことだと思える。


とはいえ。イライラしているときにはそんな思考は思い浮かばない。

なので、何度も繰り返し思い出し、癖にしたい。


自分の時間を家で確保すること。

ほんと難しい。

一人になりたいとは贅沢なことなんだな。

家で一人になれることって家族で暮らしていると無理だよね。

だったら結婚しない、家族を作らなければいいって話になってしまうし。


それとも違うんだけどね。

無いものねだりのぜいたくな悩みということで、さらっと流そう。

ハイボールが好きだからボトルを入れました。
でも何かお店で飲むのと味が違う。
店だと美味しいのにな。。。




2022年1月27日木曜日

見た目が大事。

 先日ある会議に参加した際に、少し早く着いたので、

準備をしていた方とお話をした。


「最近、忙しそうですよね。でもすごく楽しそう!キラキラしているよ!」


と言われた。


確かにそのとおりだ。

気持ちと行動が伴っており、それが自分の「見た目」に現れている、ということを

その方の言葉で感じた。


人は見た目じゃない、中身だ。

とはよく聞いたけれど、実はそうじゃないということもみんな知っていること。


中身が、見た目に表れてしまうのだ。

歳を経ると、しわ、でその人の人相も作り上げられてしまう。

いつも眉間にしわを作る人は怖そうな人相に。

目じりのしわが多い人は、いつもニコニコ笑っているから柔和な人相に。

服装に気を遣うことができる人は丁寧な暮らしをしている人。

だらしない体型の人は、自分に甘い人。

姿勢の悪い人は自信のない人。


というのは私の勝手な主観。


でも、見た目にその人の中身が表れる、というのは本当だ。

だから逆に、見た目から整えると、中身も近づいていけるというのも本当だ。


とにかく、今の自分は仕事が楽しくてやりがいを感じていることだけは

確かなこと。

人にも伝わる、自分の心を映す自分の見た目。

気をつけねば。

食べたいものを食べる。自分に甘いので。



2022年1月24日月曜日

人に感動する。相変わらず。

仕事がおもしろい。

いくつかの業務はあるものの、どれも単調なものがなく、

私の能力程度では、考えたり調べたりすることで時間がかかるものの、

それがおもしろいと感じる。


なかなかルーティンとできないけれど、

毎月やることが決まっているものもある。

それをマニュアル化する時間すらないのだが、

なんとか数カ月乗り切り続けている。


予定外のことも多い。

急に仕事が振られることもある。


それすらおもしろい。

そういうことに対応する力も、少しずつ身についているのではないかな。

そしてさらに、きっとこういう仕事を振られてくるだろう、という予想まで。

先回りして作っているときもあったり。


そして何より、人との出会いに感動する。

特に、当法人が力を入れて取り組んでいる、芸術祭。

アーティストさんとの直接の出会いはもちろん、

その前に作品のコンセプトなどを拝見するだけでも感動する。

こんなにいろんな思考を巡らせて考えて生み出していること。

素晴らしい作品を生み出すアーティストさんの普段からの佇まいの美しさ。

考え方や所作、人への対応やコミュニケーションなど、

もう、人として素晴らしいのだ。


感動してばかりではいられない。

その作品を、いろんな人に見てもらうために、私はできる限りのことをしたい。

そして私もそんな人間になりたい(アーティストになりたいのではなく。そういう思考で動ける人に)


そんな最近。


好きなカフェが再開。やっぱり人が好き。



2022年1月18日火曜日

トンガ沖噴火から意識が変化?

 衛星写真画像を見て驚いた、トンガ沖の大規模噴火。

同じ地球に住むヒトなのに、全然想像がつかない。


まずは、現地の状況により、苦しんでいる方々にお見舞い申し上げます。

そして少しでも状況が回復していくことをお祈りしています。


今回のこの噴火を通じて、その日の明け方目覚め始めてからだが

以下のような心情になったので綴っておく。


人間とはいったいなにか。

地球とは一体何か。

宇宙とはいったい何なのか。

いのちとは何か。


亡くなったあとの魂とかって、いろんな説があるけれど、

結局、「無」になるだけなのではないかと。


そもそも、なぜ生命が誕生したのか。

この得体のしれない宇宙の中で、地球には空気が存在し、

ヒトをはじめ、いろんな生物植物などが「生きて」いる。


生きる、という営み自体が謎で。

地球やそのほかの星と同じように、物質(土や空気。星自体そのもの)の時間による劣化というか、進化というか、経過の一つに、生命という分野もある、ということなのか。


じゃあなぜ、今自分は人間として生きているのか。

人として生まれた意味があるというが、

宇宙的に見たら、そんなの意味があるのだろうか。

宇宙には生命が無い星がほとんど(今知られているだけで)だ。

歴史だって地球上の生命誕生は、とてもまだ浅い。


脳が発達した人間だから、自分の想いとか考えはあるけれど、

蝉が一生を終えるように、人間もそれより期間が長いだけで、

息絶えて肉体が滅びていく、ただそれだけの地球上での現象に過ぎないのではないか。


生きている人間にとって、いろんな価値あることを成し遂げた人は、

人間が生き延びている間こそその近くにいる人、又は規模によっては世界中の人に

知られ、亡くなった後も自分の存在を知ってもらえるけれど、

それも長い目で見たら、いつかは意味がなくなるものなのだろう。


コロナの件で、自分はもう四半世紀生きているので、

いつ死んでも構わない、と思っていた。


だが、生きている意味がわからないというか、

宇宙から見たら、地球は成長しているというか、時間の流れによって変化を生む惑星で、

変化し続けている中で、今回の噴火もあり、

この噴火の規模も、今後もっと大きくなれば、地球が壊れて割れてしまう可能性だって無きにしも非ずなんだ。

と思ったら、

生きている今、人間として生きているのなら、まだ死ぬのは嫌だ、と思えた。


逆なのかと思ったが、

亡くなった人の記憶は、生きている人に宿る。その人自体は本当に消えて無くなるのだ。

人の記憶に残ってほしいと願っているわけではない。

自分の魂とかのためとかでもない。


今、まさに今。自分は生きている。それを意識したい。それだけらしいのだ。


気づいたら涙が出ていた。

トンガ沖噴火の翌朝の自分。


何を言いたいかわからないが、視野がとても広くなってしまったということだ。

心がざわざわし、胸も苦しかった。


とはいえ、今は日常に追われていつも通りだ。

でも何か、違う意識が生まれた気がした。

事故など、自分の意識が顕著に出る時代に変化してきている気がする今日のこの頃。
慌てれば事故る、そういうこと。
オオゴトが起きず良かった。


2022年1月3日月曜日

感謝を込めて。地元を紹介できたら。

 昨年、市外に住む友人を連れて、午後半日地元を案内した。

ところが、月曜日ということもあり、カフェなどのお店はお休みが多く、

定番の観光地と1件のお店をご案内するにとどまった。


定番の観光地においてある地元産の商品や、紹介しているものを見ながら、

それにまつわるエピソード(店主さんのことや、どういう思いから生まれたものなのかなど)を話していたら、友人が、

「それ、まとめたものを欲しい!それで今度また案内してほしい!」

と言われた。


なるほどそうか。

私は今まで地元でいろんなお店や生産者さん、観光地や施設などを取材させてもらった。

仕事の媒体で使われているけれど、それを今度は個人の目線でまとめてみたいと思えた。


年末に「店名、ジャンル、エリア、備考」の一覧を作ってみたら、

その数は100件を超えていた。


まだそのものをどう表すか。考えてはいないけれど

紹介の一覧と、ご案内コースを作ってみたいなぁと。


ローカルダイバーで考えた案は自分では素敵だと思うので、それをもとに、

同じような形態でいろんな分野ごと、人が行ってみたいと思うジャンルごとなど、

テーマを決めてご案内コースを作ってみようと思う。


ぼんやりとそんなことは以前から考えていたはず。ローカルダイバーに申し込んだくらいなので。でも案内役は私じゃ無理だという思いがあった。

でも、私が直接お店さんに出向き、店主と話をし、関わったからこそ見えた部分は私にしか出ない言葉があるのではないか。と思うようになれた。

今回の友人の話から、そんな想いに至った。

ありがとう。感謝しています!

さらにまだ知らないお店もあれば、閉店したお店もある。再調査を楽しもう。






2022年1月1日土曜日

今年の10大ニュース

 あけましておめでとうございます。

今年もついに始まりました。

のんびりとした時間を過ごせるのも、お正月の良きところ。


年齢はかなり重ねてきたけれど、

こどもも大きくなり、核家族で気兼ねなく寝坊もでき、

朝から好きなコーヒーを飲んで、洗濯ものんびり。

大掃除も特にせずとも誰も何も言わず、自分のペースで掃除ができるし。

夕方からひとり飲んだくれることもできて。

みんなが健康だからこその賜物。

本当にありがとうございます。


重ねた年齢ね。。。

節目の50歳。早生まれなので同級生はみんな50歳になっていますね。

私はついに今年50歳を迎えてしまいます。

楽しいことができる年齢ではあるけれど、

なんだろうな、若さに未練があるのも確か。

体力気力を保って、やりたいことはやれる体力を。

やらなくてもいいことは、さっぱり辞める勇気も。そろそろね。


ということで、恒例の(毎年考えています)

今年の10大ニュースを挙げたいと思います。


1.私個人にライターの仕事が舞い込むようになった

2.NPO法人の仕事が充実、法人の活動の奥行きが広がる一端を担うようになった

3.ナチュラルライフマーケットが、決まった場所(望む場所が見つかる)で開催されるようになった

4.扶養の範囲を超える収入を得ているので、やはり扶養には入れなくなった

5.ズンバを含むトレーニングにはまり、ダイエットに成功した

6.川根本町とのつながりがさらに強くなった(仕事もするようになった)

7.デザインの勉強を始めたおかげで、いろんな分野で役立った

8.アルコールの量は減ったが、飲み会のコミュニケーションは上手になった

9.バンド活動が活発になり、ソロを吹く機会が増え満足度が上った

10.家で過ごす時間が楽しく感じるようになった


今、寝起きで思いついたままに書いてみました。

ブログに書き記すと、今年の最後に見返すことが容易にできるのでいいですね。


そして、今年の漢字は「積」にしましょうか。

昨年は「動」だったと思います。


「積」は、まだインプットが足りないと思っているからです。

努力も積みたい、新たな経験も積みたい。

苦手なことも積んでいきたいし、受け取る経験も積んでいきたい。

発信することも積み重ねていきたいなあ。恐れずに。

何事もいくつも経験して気づいたら成り立っていた、となるからね。

一目ぼれもあるかもしれないけど、

今年は、じっくりと何度も対話を重ねて、いろんな感情を積み重ねて、混ざった状態でOKとしていきたい。

正解も不正解も無いからね。どんなことも認めて受け入れ続けたい。

好き嫌いはあるけれど。


何事も必然。

今年はどんなことが起きるかな。

そしてそれをどう私が捉えていくのかな。

人生は本当におもしろい。人間として生まれてよかったです。


ということで、今年もよろしくお願いいたします。


大みそかのサンカク公園。

29日のビッグムーンカフェ。一人0次会。
一人で飲みに行けるお店がまた一つ増えた。

順番おかしいけど、年越しの瞬間にJUN喫茶にいるありがたいことよ。



これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...