2021年10月31日日曜日

一人行動で緊張とワクワクと

 掛川市内で開催の「原泉アートデイズ」というイベントへ行ってきた。

地域を巻き込んだ芸術祭だ。


昨年まではその存在すら知らなかったこちら。

自分が芸術祭を運営する側の立場となったからなのか、目に留まるようになったし、

最近ここに出かけたという知り合いのSNS投稿を目にしていたのもあり。


11月は忙しくなるのが目に見えているので、

せっかく空いた時間。癒しの時間として山奥へ一人ドライブに行こうと思っていたのだが、

せっかくならアートデイズに行ってみたい興味のほうが先に立ち、

どっちみち山奥なのは川根本町も変わらないだろうから。行ってみた。


ナビで行ってみるも、やたらと遠回りをさせようとするので、

自力でどんどん近い道であろう方へと行ってみると、

かなり道が細く、途中通行止めで迂回させられる始末。

だからナビは遠回りを指示していたのか・・・


迂回したにしても、きちんと目的のイベントの案内表示がされているところに感心した。

見知らぬ土地に一人訪れて。

目的の場所に着けないのは致命傷。

そのイベントの印象がそれだけで悪くなってしまうことも。

親切さをどうやって表すかも大事なことなのだな。

しかも、そのイベントのイメージを崩さずに、おせっかいすぎずわかりやすく。

難しいけれども。


とにかくその道中のおかげで、ハラハラしたが、顔はにやけている自分にも気づいた。

スリルを味わう自分を楽しみたいんだな、自分。と。


お一人様でも困らないアート鑑賞。いいじゃないか。

スタッフの説明がとても重要だと言うことも痛感。


首にスタッフ証ならぬ鑑賞者のあかしを提げるよう言われた。

お洒落な感じがするので苦ではない。

他の展示場にそのまま向かうと、その施設のスタッフさんからスムーズに案内をしてもらえた。イベントスタッフではないのに、このスムーズさ。こちらが説明しなくてもわかるスムーズさたるや。すばらしい。


正直、私にアートはわからない。

ただ、アーティストが魂込めて作品を作り上げ、この地で発表することの意義というのは重々感じる。

よくわからないなりにも、じっくり堪能したつもりだ。


原泉地区の山深くのどかな感じとは裏腹に、どことなくはかなさが感じられた。

私の好きな川根本町のそれとはちょっと違うと感じた。

もっとマニアックな気がした。


秋も深まり、広葉樹の色が赤や黄色に色づく部分が見える、向こうの山。

それをずっと見ているだけでもここに来た価値はあったと思った。

音読パフォーマンスがあるから、ぜひ。とスタッフさんにおすすめされて訪れた場所がまさにその価値を感じられる場所だった。


実際、観客が私一人だったという、

なんとも贅沢であり、恐縮であり、動けなくもあり、動きたくもなく。

なぜいまここにわたしはいるのだろう。

と思ってしまいそうになる。

何事も必然。

本当に貴重な体験をさせてもらえたのだと、これから感じるに違いない。


音読で聞かせてもらったストーリーにまた運命を感じる。

感想を述べなくてはならない状況で、ライターの端くれなのにまったく言葉が出ない。語彙力が足りない。

とはいえ、悲しい気分になったわけではなく、

むしろ、頭の中を空っぽにすることについて、考える事ができたのは収穫だった。

無理なんですけどね、空にするなんて。

ほんと人って饒舌ですね。口をつぐんでいても。頭の中は。


とにかく、一人で自由に動いてアートに触れる時間を満喫した。

とにかく、ガソリンが持つことを祈りつつハラハラした日だった。













受付ではドネーションとして1000円だけお支払いした。

安いかもしれない。でも払わない人もいるかもしれない。




2021年10月22日金曜日

なにをすることで喜びを感じるのか

自分だけがうれしいと感じればいいのか。

自分の周りや、自分の好きな人と喜びを分かち合うことが喜びと感じるのか。


いろんなパターンがあるだろう。


自慢話をして聞いてくれる人がいたら、

話す自分はうれしいだろう。

でも聞かされれている立場の人が不快な思いをしていたとしたら。

不快な思いをさせている自分に気づいたとしたら。

喜びは一気に消え去る。


一人で完結できる喜びもあるだろう。

一人じゃ達成できない喜びもあるだろう。


客観的に自分の立ち位置などをみる力加減というか、

出る時に出て控える時に控えるような、

そういう能力に長けた人間になりたい。


人の心は読み取れるようで読み取れないし。

察することができるようで、実はできない気がする。

それすら勝手な妄想で。

話してみないとわからない。


ただ、

直感的に。この人は好きだ、苦手だ、はあるのかもしれない。

話してみて第一印象と違っても、

やはり付き合ってみると第一印象通りだった。

ということが往々にしてある。


どんな人と関わるにしても、

お互いに心地よく喜べる関係になるように努めたら

相手を貶めたり、自分を優位にさせようとすることなども

無くなるのかな。

家での晩酌は欲望のまま。家族と別メニューなのだ。そして私はゴキゲンなのだ。


2021年10月20日水曜日

多弁と寡黙とのバランス

いろんな考え方があって、いろんな人がいる。
それ自体がおもしろいし、
そう感じるのは人間だからか。

この地球上に生まれて、この時代に生きていて。
いろんなことを考えて行動すること自体も人間らしさ。

でもいつかは消えてしまう。

とても大きな、宇宙から見たらたった一つの小さいいきもの。
でも、自分は自分として、
いろんなことを考えていて、
やはり消えてしまうその日が来るのを、小さい存在であったとしても怖れている。

でも、大きな部分から見たらそんな小さいものなんて、
消えても何の影響もない。
そう思って、自分も他の生き物を扱っていないか。

みんな生きるために必死なんだ。
必死じゃなくても、無意識に生きるために動いている。

我が物顔の人間は、いろんないきものがいる中で本当に偉そうだ。
知恵があって発明もして、地球上の資源を使って物を作りだし、最後はそれも地球のごみとしてしまう。

つまり何が言いたいのかというと
自分だって、無意識のうちに心臓が動き生きているのだが、
言いたいことは言い、言わなくてもいいことは言わず、
愚痴や不平や文句などは言いたくないからもう言わない。
でも、知ってほしいことは、聞かれたら答えられる範囲内で答えたい。

ちょっとしゃべりすぎたな、と感じた今日の午後だった。。。
でもまぁ、悪いことは言っていないはず。

酒とつまみもいいが、たまにはコーヒーとスイーツを楽しみたい!!



2021年10月16日土曜日

ひとり飲みのススメ

一人で飲みに行くことが憧れだった。

おばさんが一人寂しく飲んだくれる、というのとは違う。つもり。

できれば、かっこよく美しく飲めたらと思っている。
それはもう、自分がそうではないので無理なことだとわかってはいるが。

飲んだくれるわけではなく、
一人で酒をたしなみたい、その気分を楽しみたい気持ちが強い。

私の大好きな「孤独のグルメ」のあこがれもあり、
一人でも歓迎してくれるお店を探していた。

地元ではそういう女性は少ないのかもしれない。
知り合いのお店なら、一人でも入れるようになれてうれしい限り。

それ以外のお店でも、サクッと飲んでさっと帰れるような感じで飲めたらいいのに、と思いつつ、
まずは、遅れてくる友達が来るまでの間一人で飲むということをしてみた。
それで、一人でもなんとかなりそうだな、と思えたこともあった。

おかげで一人で飲めるお店が増えてきた。

自分もカフェの運営を手伝うことがあるため、
客の顔を覚えたり、覚えなかったりだが、
行動を伴って客を覚えるものだというのもわかる。

私が一人で飲みに行くと、たぶんお店の人に覚えられてしまう。
女性が一人で飲みに来ていること自体珍しい。(地元では)
同じ席にいつも座っている。
ライン登録が済んでいる。
長居をしない。
などかなぁ。
顔は覚えていないだろうけど、行動でこの人は前にも来た人だ、とわかるのかもしれない。

とにかく、
一人で飲みに行ったお店で、別に誰とも話をしたくないわけではなく、
お店の人と話ができればそれはそれでうれしいと感じている。

私が一人で行くお店は、お店の人の感じが良く、
会話もちょうど良い感じだ。
チェーン店でも個人店でも、それは同じ。
大事なのはやはり「ヒト」だから。

たまには一人酒、おすすめです。
自分のペースで飲めるし、好きなものを食べられるし。
金額もそんなに使わずに済むし。でも満足できる。

私の場合は大体「0次会」としていくことが多いけれど。
飲み会の前に一杯ひっかけていくなんて、大酒飲みじゃないか。
いやいや、気持ちをリラックスさせていくんですよ。

ただのつぶやきでした。
会計時に「お久しぶりですね」と声をかけられてビックリ。
できる店長のいるお店にはまた行きたくなるものだ。






2021年10月13日水曜日

単純に。自分は感動の人。

本当に水星の逆行が戻り、順行になったことが影響しているような気もするが、

反省し自責し、自分が嫌になった後に、

また立ち直れるような嬉しいことが起きる。


会いたい人が来てくれる。

会話ができる。

一人時間を堪能できる。

想いを共感しあえる。


さらには、自分の仕事のクライアント(お金はもらっていないが)から、

喜ばれ、お礼まで受けたことがあった。


自分はここに駄文を書き連ねているのだが、

書くことがやっぱり好きなのだ。

自己表現でもある。


前回の記事で、人徳を得るには、人の悪口を言わない、自慢をしない。

自慢はしたいと思わないが、

自分のことや想いを誰かに伝えたい、誰にでもなくつぶやきたい思いもある。

発散したいというか、表現したい気持ちはある。

人の時間を奪って、聞きたくもないだろう私のことを聞いてもらうことなどはしたくない。


だから、ここに綴っているわけで。


1つ、自慢ではなく、本当にうれしいことをここでつづらせてほしい。


仕事で、地域情報誌の作成をしているが、個人商店さんを取材し記事を書かせてもらった。

無事発行され、なかなか好評をいただいている。

その中で一軒、私たちの事務所までお越しくださり、記事に取り上げてくれて良く紹介してくれてありがとう!と、お礼にお茶とお菓子を持ってきてくださった。

お礼を言われることは度々あるのだが、

ここの職場にきて5か月目。初めての出来事だった。

本当にこちらこそ、ありがとうございます、なのに。(取材に協力してくださって)


地域情報誌、という部分。

私が担当したのは「広告」ではなく「地域情報の発信」

だから、お店の人からは掲載料はいただかない。

逆に、こちらの趣味志向で、お店さんのお時間をいただいて取材させていただき、

こちらの趣旨に沿った記事を書かせてもらうという、

とてもズーズーしいお願いをしているのだ。

でも、一見したら、チラシにお店の情報を載せているので、

まるで宣伝をしているようなフリーペーパーに見えるだろう。


だが、実際は違う。

情報誌内に広告枠もある。それと比べてみたら一目瞭然だ。

記事と広告は違う。

あくまでこれは地域の情報誌。

お店にお客さんが大勢来ること、が目的ではなく、

読者にとって、地元にこういう活動をしている、こういう商品をこういう想いで販売しているお店や人や団体がある、

というのをそれぞれの読者の心の目でさらに見てもらい、知ってもらうための紙媒体なのだ。

読者がどう感じるか、それぞれだが、

私たちはそこをぶらさずに、活動をしていればいいだけだと思っている。


取材をしていると、お店の人の話に引き込まれ、情が生まれてしまう。

どんなお店も、その商いで生計を成り立たせているのだ。

尊敬しかないのだ。

だから、感動しつつ記事を書く。

肩入れしすぎないように、でも愛情をもって。

これからも胸を張って取材してフォトライティングを続けたいと思った先日だった。

このかつおの刺身も先日取材したお店で購入。お得でいいものを仕事で知ることができるのは役得だ。




2021年10月10日日曜日

人徳は作れるのか。

水星が逆行していたから。

なんてのは、言い訳かもしれないが。

PMSというのが私にも当てはまっていたから。

なんてのも言い訳かもしれないが。


自己否定が強くなる時期がある。

いいとこなしのダメな奴。ってね。

前回のブログがまさにそうなのだが。


でも、そういうときもあるよね。

ってことで。


今日見た動画で、人徳を得るためにはどうしたらいいか(私は別にリーダーになりたいとは思わない)を教えてくれていた。


ポイントは2つ。

・弱い人にやさしくすること

・恐怖や権力などの誘惑に絶対屈しないこと


そして、そのために今からできることとは、

・人の悪口を言わない。自分の自慢をしないこと


だそう。


いやぁ~確かにそうだ。

私は実は毒舌だ。(実はでもないが)

自慢は、していないつもりだが、ちょいちょいしているのかも。


で、あの人にならついていきたい、一緒に仕事したい、と思える人というのは、

・誰にも分け隔てなく同じように対応してくれる人

・一緒に考えたり動いたりしてくれる人

かもしれないなと。


友だちはまた別なんだろうな。

友だちは、やっぱり愚痴りたいし、愚痴も聞きたい。

どう思っているか知りたいから。ブラックな面だって見たいと思うから。

でも仕事となるとちがうのかな。

その境界線は難しいけど、分け隔てなくなら、ブラックな面に共感するならいいと思うけどな。


ただ、人の気持ちは変わるから、

昨日まで共感していたのに、今日は共感できない、となると、

それでも愚痴られたら、信頼できなくなってしまうか。。。


想いのままに素直に行動することと、自慢や愚痴を言うこと。

人に対して優しい気持ちで対応することと、理不尽な人に対していらだつ気持ちを抑える(我慢する)こと。

これってどうしたらいいのかな。

仏のように、誰かに対して怒りやむかつきが出たとしても、

さっと気持ちを切り替えられることができるのが通常、というようになる訓練をしないといけないということか。


何事もに「なんで?」「どうして?」と思えば、

そもそも理不尽なことをされたとしても、イラつかないのが当たり前になるものなのか。

無感覚になるのとも違うんだろうなぁ。

怒りは悪いものじゃないと思うので、冷静に「あ、今自分、イラっとしてるな」って見る心の余裕を常に持っているのが普通、となる訓練をすればいいのかな。

とにかく、今のままじゃ人徳は積めないことだけはわかった。


とにかく、おいしいものを食べたり飲んだりすることが
ココロを落ち着かせる一番早い方法かと。


2021年10月6日水曜日

ダメ人間

気持ちと考えと行動の乖離。


前にも書いたかもしれないが、

こうなりたいという思い(経済的に余裕があり、家の中がすっきり片付いていて居心地がよく、家族とはいい距離感で暮らせ、庭は車が4台停められて野菜菜園や花壇のある状態にリニューアルし、健康的な食事を無駄なく作ることができ、素材にこだわり、循環できるくらしを率先しておこないたい。仕事も充実していて収入も増え、やりがいと信頼とが増え、誠実にコツコツと続け、運動も継続することができ理想体重に落ち着き、気軽に旅行へ出かけられるような環境である、などなど)

すごく贅沢なことを書いた気がするが、それほど難しいことでもない部分もある。

収入面はどうしようもないが、無駄なものは買わず物を大切にする思いがあれば、勝手に貯蓄もたまるのだろう。私にはそれができていないので、たとえ宝くじが当たったとしても、心の不安は払しょくできないだろう。

(でも借金とか、生活費の心配をしないというのは、心の安定が少しは増える)


そう思いながら、実際はどうかと言えば、全然逆だ。

環境にやさしい暮らしをしたいと言ってイベントを起こしているにもかかわらず、

家から出るペットボトルの量は多く(自分以外のものの分だが)

生ごみはビニール袋に包みににおわないようにしてごみとして捨てているし、

断捨離とは到底かけ離れた荷物が家の中にあり、掃除もままならない。

庭は朽ち果てた枕木や雑草で無残。あと数カ月後にはもう一台車を入れられるようにしなくてはいけないのに、庭造りの資金が無い。

年を取ると、めんどくさいと感じたり、身体を動かせなくなったりするだろう。

整理整頓をするなら、今だと思うんだけどもね。。。


とにかく、想いと実際が違うために、気持ち悪い。

なんで自分はこんなにダメ人間なんだろう、と卑下しまくっている。

それも嫌だなと思っているが、仕方ない。


そう。だからできることからやらないと、と思っている。

できることはある。

だったらやろう。




2021年10月5日火曜日

自分自身への不安

 将来への不安、金銭面のブロック、いまだにあるんですよね。

まだ今は、働いて稼いでいるからいいけれど、

この先、こんなに貯蓄が無くて大丈夫なのかな。。。

楽しく暮らせなくなるのでは。。。

という思い。

数年に一度くらい、心臓がどきどきするような不安感に襲われる。


でもよく考えれば、というか、大したことないというか、

不安にならないために何かできることをすればいいだけのこと。


変化の時は確かに不安になる。

それは私だけじゃない。


まだ健康で、雨風凌げる家があり、

子どもも家族もみんな健康で楽しく暮らしているじゃないか。


不安になるのは自分の勝手。

自分の今までの怠惰もある気がするが。


とにかく。

もう少し楽観的になりつつも、

もう、本当に丁寧なくらしをして生きていきたい。

できることからコツコツと。だね。

贅沢は味方だ。使い方次第なのをそろそろ気づこう。


2021年10月3日日曜日

ひとりになりたい。

気分転換をしたい。

今なにか行き詰っているとかとかでもない。

でも、ちょっと、心が苦しく感じている点がいくつかある。

そのうちの一つが、家計。
いまさら?ですが。

今まで散在し過ぎていたからだとは思うけど。

まぁ、もう少し、気持ちを落ち着かせて、
家の中を整えて、(でも家はくつろげないんだよな…)

気分転換に一人旅に出たい。

一人旅ならどこに行こうか。考えたい。


結局考えるだけで出かけないと思う。
お金がかかるから。

でも。計画を立てて予算を立てて。
そしたらいけるのかもしれない。

行きたいところに自由に行きたいんだよね。

一人では自由に動けなくなったら、必ず誰かと一緒に行動することになる。
そうなる前に。自分一人で自分だけの判断で、行きたいところに行ってみたいもの感じたいものを感じたい。

そんな気分。

偶然で必然の出会いを旅で感じ、自分の今の方向性で合っているのかを感じたい


これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...