2022年3月29日火曜日

持続可能なまちづくりって?

よく、市内でイベントを開催している。

自分一人で起こしているわけではなく、私はどちらかと言えばお手伝い。

やる、と決まっているものに対して、お手伝いします!

が、長年続いている感じ。

なので、決定権は持っていない。


だが、主催した人とともに歩み続けて見守り続けて。

時には自分が自ら動くこともあり。


その中で、主催の想い(開催の初心から、経験を経ての今の気持ちなど)

も、受け取り続けて。

自分自身の考えと主催とのすり合わせもし。

実際に現場で感じた気持ちもあり。

それなりに、イベント開催に関しては思うことがある。


また、別の話になるが、

まちづくり●●的なワークショップや講座にももう何年も参加した。

市が主催する講座やイベントやワークショップや委員など、

やってみないか、と声をかけられたらほとんど断っていない。

最初のころは、自分が参加しても意味がない。いるだけでよいなら。という感じで引き受けていたが、このところは意外と積極的に(気持ちだけは)参加するようになり。


だが、私にはそんなに強い意志のようなものはないまま参加してきた。

なので、十分な議論にもついていけないだろうし、意見を求められてもそんなに深いことは発することができない、と今も思っている。

なぜなら、インプット(勉強)が足りないからだ。

ただ、体感や実感、そして妄想なら言える。


突然だが、私の望むことは、今から20年前から変わらず「世界平和」だ。

安直に感じるかもしれない。

今のご時世だから、と思われるかもしれない。

壮大すぎる望みかもしれない。自分からかけ離れた望みを言っているように見えるかもしれない。

でも、本当に、今から20年前から世界平和を望んでいる。


あ、タイトルからかけ離れてしまった。。。

でも、持続可能な、とタイトルと付けたことと世界平和を望むことは実はつながっている。


持続可能な、というセリフ。この言葉自体に罪はない。

ただ、SDGsを振りかざす人や企業や団体は苦手だ。


個人的には感覚的にだが、

持続可能な快適で事足りる暮らしをするには、

オーガニック給食を実現することが一番良いと考える。

多分、これを説明できる人は世の中に大勢いると思うが、私にはその知識がまだ乏しいので、

いつか人に説明できるように勉強したいと思う。


最近、まちづくりとか、街中活性とか、賑わい創出とか、イベント企画などの言葉を自分のまわりで発する人と出会う。

今日、「本当に賑わいが欲しいと思うのか?」と尋ねてしまった。そしたら、「本心としては、混雑は要らないと思っている」と答えられた。

でしょ。それが答えだよ。

前置きが長く寄り道もしたが、それを書きたかっただけ。

丁寧に淹れると珈琲はきちんと答えてくれる。そゆこと。



2022年3月26日土曜日

心の余裕が生み出すもの

仕事をしつつつも、のんびりした感覚がある。

久々に予定の無い休みがあった。
一人、ドライブを楽しみ、好きな神社へお参りに。
気になるお店もネットで発見。
運よくランチにこぎつけた。

鼻が利くようになった気がする。
いいお店に出会えた。

世の中の流れは、自分が思う世界に進むと感じる。
というか、自分がそう思えば、どんな世の中であろうとも、
自分が思う世界になるのだろう。

一つ。ライター応募していたが落ちた。
これも必然なのだろう。

自分は何がしたいのか。
自分が住む家、家族、
地域、市、県、国。そして世界、地球。

快適に過ごしたい。それだけ。
わがままでもあるかもしれない。
人には迷惑をかけたくない。
思うことは自由。

持続可能な…というセリフをよく見る。
最強なのは自給自足ができること。
食べ物に限らず、今の時代ならエネルギーを作り出すことが急務かなと。

という、まだ何となくぼやけた理解しかない自分に多少苛立ちはありつつ、
今すぐ何をしなくてはいけないというのも、この年齢でどうかと思う。
快適に暮らしたい。ただほんとにそれだけなのだ。

やはり私がまずやるのは、本を読むことから。
文章をきちんと書ける人になりたい。。。

こういう思考に入る時間が取れる今がとてもありがたい。
いつでもどんなに忙しくても。
目の前の仕事は丁寧に。きちんと考え行動できる50代になろう。



美味しくて接客のいいお店は長く続く。なぜならファンがつくからだ。



2022年3月22日火曜日

充実感をかみしめつつ。

無人駅の芸術祭が閉幕した。

毎日が刺激的で、直前になって準備をすることもあるような、未知な部分も全員にある中、
臨機応変という言葉も追いつかないような日々だった。

肉体的疲労も多かった。精神的にも多少なりとも緊張感があった。
でもそれ以上に、毎日充実していた。

自分が必要とされている感や、大切なことをやっている実感があるからだ。

最終日のみの作品、森繁哉氏の舞踏。
本当に感動した。
言葉にならないが、涙がこみあげてくるような、不思議な感覚に陥った。

いま、ここにいる。そのことに感謝したくなる、そういう気持ちなのかもしれない。

まだ、撤収作業が残っており、また報告書関係も作成しなくてはいけない。
そしてきちんと振り返り、次へ進む準備もしなくてはならない。

義務的な部分もあるが、自由さがあるのがうれしい。
次はどうやって行こうか、決められるところだ。

自分は決定することが苦手だ。
うちの法人は、決定をきちんとしてくれる。
悩んだときは決めてくれる。
でも、意見をちゃんと聞いてくれる。尊重してくれる。
一方通行ではないところが本当にありがたい。

確かに、他の企業から見たら、甘い部分は多いかもしれない。
気持ちだけで進んでいる部分が多いかもしれない。

でも、コツコツと誠実に続けてきたから、応援してくれる人が増えている。
おおきな組織からも認められてきた。

それは、本質をきちんと見ているからだ。
利益追求型ではないからだ。
何をしたいのか。それがはっきりしているからだ。

きれいごとを嫌う、利益優先の人から見たら、馬鹿にされるかもしれない。
でも、実直に。一つ一つと向き合い丁寧に活動していると感じる。
自分もその一員であることを誇りに思う。
そして自分も丁寧に生きたい。

さて、今日も丁寧に進んでいこう。



2022年3月10日木曜日

おいしいは幸せ。を深堀すると。

 体が疲れていると、心も疲れがち。

休みがあったとしても、何をしたら休まるのか、思いつかない。


そんなときは、今ここに集中するといい、とよく聞く。


今ここにって。どういう状態のこと?


主婦である私は、料理に集中しているときが一番それを感じられる。


疲れていてもおなかがすくという意識は明確にある。

何を食べようか考えるのは、悩ましいことでもあるけれど、

今日は家に野菜がたくさんある日。(隔週で無農薬野菜を購入している)

その野菜を早く使いたい。おいしいうちに。

使う食材が限られるだけで献立を考える手間がだいぶ楽になる。


水菜を洗う。

虫がついているかもしれない。枯れて腐った部分も含まれている。

そんな状態を見ながら洗い、食べられない部分は落とす。

その瞬間も、今ここに集中しているといえるのではないか。


自分で思いついた献立ではあるが、

自分で作ったものがおいしいと、自然と笑顔になる。

これが本当に、おいしいは幸せということなのか。

自分で作らなかったとしても、

誰かか作ってくれたもの。それがおいしいと感じると、笑顔になったり、食が進んだり。

特別高級な、貴重な、珍しい、ものではなくても。

いつも通りに家でご飯が食べられること自体が、おいしい調味料となっているだろう。

よく言われることだけれど。

たとえ一人きりで食べたとしても。

味はそんなにおいしくなくても、楽しい会話とともに食べたらおいしいのだろう。


おいしさの基準は人それぞれ。

でも、おいしいと感じられることは幸せなことなんだ、と思う。

地味に見えますが、左の水菜とトマトとベーコンのスープがおいしくできて満足。



2022年3月7日月曜日

なにをしたら、満たされるのか。

ここ数年の中で、いや、生きてきた中で、

今が一番忙しいかもしれない。


今までも忙しい時はあった。

今が一番忙しいから。そんなふうに思ったときもあった。


だがしかし。

今が一番忙しいと感じる。

更に加齢もあり、体力の無さは精神的疲労にもつながる。

これはまずい。


しかし本当に、自分一人の時間が作れないのは厳しい。

自分は、一人の時間が必要なタイプなのだ。と、子育てに専念していた時に痛感し、

こどもが家にいる頃(幼稚園に通わない時代)にも、子連れでいろんな活動に顔を出したり、時には一時託児に預けて自分だけの時間を確保したりもしていた。


今は、家がリラックスできる場所ではないこと(リビングではダイニングテーブルに座っていてはリラックスできない)。

外に出ればお金がかかること。

1人きりでゆっくり自由に過ごす時間が取れない状況が1ヶ月以上続いている気がする。(本当はもっと短いかもしれないが)


そういえば、月に一度、2カ月に一度でも、身体のメンテナンスに行こう!なんて言ってもう半年近く行けていない気がする。


自分は今、休みが一日取れたとしたら、何しに行くのがいいと思うのか。

何をしたいのか。どこに行きたいのか。どうしたら満たされるのか。


ぼーーーーっとすることをまだもったいないと感じてしまうが、

今は、きれいな茶畑を見たとしても、もう見飽きた、と言いたいだろうし、

海を見ていても、だから何?と言いたくなるかもしれない。

景色に癒されるよりも、もっと強く癒されたいのだ。


1人で一泊旅行に行きたい。

最近見ている動画はもっぱらお一人様ステイの動画。

ビジネスホテルでいい。一人だけの空間で。一人ではしご酒して、帰りに酒買って、ホテルで飲みながらのんびり過ごし、大浴場に入り、眠り、

朝はモーニングを愉しむ。


あこがれだな。できなくはないが。

でもそれが本当にしたいのかは、わからない。


本当は、気の置けない仲間とじっくりおしゃべりしながら飲むことかもしれない。

家族と夕ご飯を外食することかもしれない。

人と関わるのも嫌いじゃない。


今に来る、ゆっくりした時間の時を待ちつつ、

今はやるべきことを進めるべし。あぁ確定申告。あと少しだ。

ぬくぬく は、かわいい。


2022年3月4日金曜日

アートから人としての生き方を知る

自分が所属している法人のメインともいえる活動「無人駅の芸術祭」が開幕した。

これまでの準備にかなりの時間を費やし(一年前から結局始まっているようなもの)

出展アーティストの選定から、作品制作のための準備を、各方面に手配、自分たちも泥だらけになりながら運営。

知ってもらうための広報活動もぬかりない。

パンフレットの制作もギリギリまでアーティストとのやりとりで変更の嵐。

とはいえ、

我々の活動は芸術祭のみではないので、それ以外の活動も同時進行。

いやはや、本当に頭が下がる思い。このスピード感と同時にいくつものことをこなす能力、忙しいはずなのに、訪れてくれた人には神対応。

嫌な顔一つせず(腹には思うこともあるだろうが)、対応する姿は素晴らしいと感心する。

何か私も役に立ちたい。その一心で今まで務めてきた。

少しでも役になっていると思ってもらえるなら。それで充分幸せだ。


さて、会期はまだ続く。

来場者の皆さんに楽しんでいただけるよう、最大限の心遣いを。

ご協力いただく方々にもアーティストの皆さんにも。

そして同じく働く仲間たちにも尊敬の念をもって、誠実にかかわっていきたい。


この1年でだいぶ自分も影響を受けて、考え方や対応が変わった気がする。

気がするだけかもしれないが。。。


楽しいだけじゃない、けれど、楽しいと思えることが本当に幸せだ。


こんな気持ちなのに、健康診断が控えていて、余命宣告を受けに行くような気がしてしまう。幸せすぎるときこそ気を引き締めて。

しあわせだけれど、やはり老体には厳しい働き具合な時もあるけれどもね。

筋力と体力をつけねばならないと痛感する最近。

















2022年3月2日水曜日

感謝と思いやりと情熱と冷静と

 今の仕事をしていて感じるのは、

やはり思いが大事だということ。

でも、思い入れ過ぎてしまうと、共倒れになることも。


そこまでの力は私にはないが、

いろんな人や団体との出逢いの中で、

つい情熱的になり応援を全力でしたくなる。


これはすごく大事なパッション。

でもどこか冷静で見つめている自分も持っていなければ。とも思う。

それは自分はできているが、

正解不正解ではなく、応援したいかそうではないか、は、

多分なんとなくというやつ。直感で感じてしまうのだろう。


話をしていて、その人の顔の表情を見ていれば、うそをついているのか、情熱を持って取り組んでいるのかは大体わかるのは年の功か。。。


自分も他人からそうみられている。

口先だけなら何とでも言える人もいるだろうが、

気持ちや、その人の顔の表情や言葉の抑揚、態度からあふれてしまうものだ。

そしてなにより、その人が纏う空気から染み出してくるのは、

特別な能力が無くてもわかってしまうものだと思う。


いつも誠実に生きていきたいものだ。


ミクロの目線とマクロの目線、どちらもいつでも持ち合わせていたい。


これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...