よく、市内でイベントを開催している。
自分一人で起こしているわけではなく、私はどちらかと言えばお手伝い。
やる、と決まっているものに対して、お手伝いします!
が、長年続いている感じ。
なので、決定権は持っていない。
だが、主催した人とともに歩み続けて見守り続けて。
時には自分が自ら動くこともあり。
その中で、主催の想い(開催の初心から、経験を経ての今の気持ちなど)
も、受け取り続けて。
自分自身の考えと主催とのすり合わせもし。
実際に現場で感じた気持ちもあり。
それなりに、イベント開催に関しては思うことがある。
また、別の話になるが、
まちづくり●●的なワークショップや講座にももう何年も参加した。
市が主催する講座やイベントやワークショップや委員など、
やってみないか、と声をかけられたらほとんど断っていない。
最初のころは、自分が参加しても意味がない。いるだけでよいなら。という感じで引き受けていたが、このところは意外と積極的に(気持ちだけは)参加するようになり。
だが、私にはそんなに強い意志のようなものはないまま参加してきた。
なので、十分な議論にもついていけないだろうし、意見を求められてもそんなに深いことは発することができない、と今も思っている。
なぜなら、インプット(勉強)が足りないからだ。
ただ、体感や実感、そして妄想なら言える。
突然だが、私の望むことは、今から20年前から変わらず「世界平和」だ。
安直に感じるかもしれない。
今のご時世だから、と思われるかもしれない。
壮大すぎる望みかもしれない。自分からかけ離れた望みを言っているように見えるかもしれない。
でも、本当に、今から20年前から世界平和を望んでいる。
あ、タイトルからかけ離れてしまった。。。
でも、持続可能な、とタイトルと付けたことと世界平和を望むことは実はつながっている。
持続可能な、というセリフ。この言葉自体に罪はない。
ただ、SDGsを振りかざす人や企業や団体は苦手だ。
個人的には感覚的にだが、
持続可能な快適で事足りる暮らしをするには、
オーガニック給食を実現することが一番良いと考える。
多分、これを説明できる人は世の中に大勢いると思うが、私にはその知識がまだ乏しいので、
いつか人に説明できるように勉強したいと思う。
最近、まちづくりとか、街中活性とか、賑わい創出とか、イベント企画などの言葉を自分のまわりで発する人と出会う。
今日、「本当に賑わいが欲しいと思うのか?」と尋ねてしまった。そしたら、「本心としては、混雑は要らないと思っている」と答えられた。
でしょ。それが答えだよ。
前置きが長く寄り道もしたが、それを書きたかっただけ。