この年齢になったからなのか、それでは遅い気もするが、
仕事やいろんな活動において、年齢だからこその責任というものを感じるようになった。
これは、自分の価値観なのだと思う。勝手な妄想。
仕事は、自分では担えない部分(理事長や事務局長個人が担う部分)以外は、だいぶいろんな分野を行うことが増えてきたように思う。
とはいえまだ大した内容ではなく、決定権も持てない、というか、持ちたくない(^-^;し、持ってはいけない。必ず確認を取るのだ。
私でできることであれば、行うし対応もする。それがうれしい。
ただ、つい時間外に動いてしまうこともある。
依頼されて動く分にはいいのだが、勝手に動くこともあれば、
クライアントからの対応を自宅で行うこともある。
これは、どうしたらいいものか。ちょっと悩む。
時給で働いているから、時間内で対応すればいいのだろうが。
クライアント側は私が時給で働いていようが関係ないので、返信が無いことに不信感を持つかもしれない、と少し危惧したりもする。
そんなに急ぎで重要な返信をする仕事もほとんどないので、翌日や翌営業日に対応しても問題ないだろう。
それがなかなかできない性分である自分が対応を変えればいいだけのことなのだが。。。
考えたり、外部の方と対応したり、メールなど文章だけでやりとりしたり、いろんな側面をその時々で対応する人間力というのか、そういうものを鍛えられている気がする。
それはこの年齢では遅い気がするが、この年齢の私が今の職場にいることがよかったとおもうこともいくつかある。それはまぁ、ここには書かずにおこうか。
もう一件、この年齢だからの責任…というのは、趣味の話だ。
長年続けている音楽活動について。
今年12月にコンサートを控えており、今年初めには選曲も終えていた。コンサートに向けて自分のパートの練習を続けてきた。
ところが、10月からパートが変わった。
ずっと頼ってきた、リード(1st)が休部するというのだ。
楽譜があるのなら、その通りに吹けばいいだけなのだから、特段困ることも無いように思われるかもしれないが、私の場合はそうではない。
音楽形態はジャズのビッグバンド。リードアルトというのは、トランペットの次に重要な役割があると個人的には思っている。
さらに、コンサートの時の席はサックスパートが最前列になるため
音の最後を止めたりするいわゆる指揮の役割もリードアルトの役割だ。
私は万年2ndを担当してきており、実力も無いのでリードアルドの音に隠れるようにずっと演奏してきた。それが心地よかったのだ。
だがしかし。隠れることができない上にリード、つまりは主旋律を担当することとなり、
今度は頼られる側となるのだ。頼るとは違うな。メロディのニュアンスを自分の演奏で決めなくてはならず、他のサックスパートはリードのニュアンスに合わせるのだ。(通常は)
ここで、自分の中に二つの感情が湧いている。
・休部したやつへの恨み
・リードを担当できるチャンス
前向きに、チャンスととらえ頑張ればいいのだろうが、もうそんな気力がそんなにわかない。それよりもプレッシャーとか、つらい気持ちが強い。
でも、長年続けてきて、さらに過去に別バンドでリードも担当した経験もあるので、
「できない~~むり~~」とか発言するのもみっともないと感じてしまう。
そう、これこそが年齢ゆえの変な責任感というか、もう言えない自分だと感じているのだ。
だからと言って、吹きたいとか、吹ける自信があるとか、吹く実力があるというわけではない。つまりは、恥をさらすこととなる。のだ。
だから、恨み節になるのだろう。
上記2件のことが、今までの自分とは異なる動きとなり、プレッシャーなのか、緊張をしているのか、ストレスとなっているのかわからないが、
現在、蕁麻疹を発症中。(なぜか足の裏)
薬を服用してかゆみは軽減したが、原因不明でちょっと不快。
夜の薬は眠気を起こすため、服用後の運転は厳禁とのこと。
よく眠れるのはありがたいが、朝服用の薬も、その後かなり眠いのは困ったものだ。。。
でもかゆみに襲われる不快に比べたら、ましなのか。
とにかく、忙しかったり、頭で考えたり、自分をさらけ出して恥をかくという、
そういう状況に早く慣れようと思う。
今まで忙しいと思っていたことは、実はそんなに忙しくなかったんだな、というのを昨年から痛感している。
そして忙しいことを忙しいと思わず、どの仕事も一つ一つ丁寧に向き合っていくのみだと。
落ち着いて進もう。
そう、丁寧に暮らしたいのだ。