2022年4月24日日曜日

気付けばそれがボランティアだった。

自分が優しい人間だと言いたいわけではない。
気付いたら、ボランティアの活動を行っていた、ということなだけ。

子どもが生まれてからの自分の、自己肯定感が低いせいもあり、
何かをやって誰かのためになるのなら、
私のことを必要と思ってもらえるのなら、
そんな思いが根底に多分あったのだろう。

また、自分の実力というか、ただでもいいからやらせてほしい、
という部分もあったのだと思う。

地域で立ち上がった子育てサークルのスタッフを名乗り出て、
そこで産後ケアについて学んだことを、参加者に伝える時間をくれ、と願ったり。
幼稚園のPTA役員に立候補したり。
小学一年生の家庭教育学級長に立候補したり。
市のペアレントサポーターになったり、別の市の子育てサポーター養成講座に参加しサポーターになったり。

自分から進んで行っているようなのだけど、
そんなに精力的に行っていたわけではなく、
そこに行ったらどんな世界が広がっていて、どんな人と出会えて、どんな活動につながっていくのかな、という単純な想いがあった。

それと並行して、自分が行いたいと思っていた産後ケアを広める活動にどれだけつながるか、ということと、
自分は過去に学級委員すらやったことがなく人前に立って司会や進行をしたこともなく、
人前で何かをなし得る立場になったことがないけれど、
実は心の奥底に、やってみたかった、という偏屈な想いがあったのではないかと。

どの活動も無償。
しかし、おかげでつながったネットワークから、産後ケア(ボールエクササイズ)を行う依頼が来たりした。そちらは安いといえど有料。
しかも「講師」という肩書もついてきた。
自分が講師とな。
とはいえ、実力不足を痛感していたので、講師ではなく仲間です、ということを常々伝えてはいた。
失敗した時の隠れ蓑として。

ボランティアを行う人の中には、こうやって自分の仕事や活動にメリットがあることを想定して行う人もいるだろう。それも悪くないと感じる。
ボランティアの活動もしっかりとやっているからだ。

今も、子育て支援関係の活動はほぼボランティア。
市から委託を受けて活動していたもの(今は引退したが)は有償ボランティアもあったが、今は無償でやりたくてやっているようなもの。

その根底にはやはり、自分がやることで誰かが助かる、喜ぶ、それがうれしいから、という想いは変わらない。

何より関わる人達との出会いや、やり取りがうれしいのだ。
自分という人間がどんな人間であるかを知ってもらうことにもなる。

本職の仕事があるからこそ、ボランティアの活動も頑張れるというもの。
そのバランスは崩してはならないと感じる。

長くいろんな活動をしてきて感じるのは、
活動そのものよりも、そこで出会う人とのやりとりが好きだということ。
いい人に見られたいわけじゃない。
人との出会いは幸せだ。
増えれば増えるほど楽しさも増すが、年齢が上がるにつれて悲しみも増えるというのを感じるが。。。

市民活動とボランティア活動。
似ているけれど、ちょっと違う。
どちらも好きで活動するものだけれども。

自分が求めて好きなものを食べる。
何事も自分で選択する。選択人生だ。




2022年4月19日火曜日

なにをもって喜びと感じるのか。

場所や置かれた立場によって、その時々によって、
喜びと感じることはそれぞれあるのだろうけれど、

自分が快適だと感じればそれが喜びであるかなと。

また、心が熱くなるような、日常とは違う部分で感動したり刺激を受けたときに喜びと感じる気もする。

平穏なしあわせと、特別なしあわせ、という言い方もできるかもしれない。

家庭内では、家族が健康であることが喜び。
怪我無く病気なく、事故なども無く、トラブルに巻き込まれることもなく。
うるさいけれど、無駄話が飛び交い、美味しくレトルト食品であってもご飯が家で食べられること。
これは平穏なしあわせ。

さらに、今以上に平穏なしあわせにしたいこととしては、
家の中、庭周りなども快適な状態になること。
つまりは整理整頓をして、すっきりした空間にいられることが常になること。

これっていつも考えるのだけど、お金が無くてもできることがあるはず。
お金がもしいくらあったら、なんて考える事もあるのだけど、
いや、それってお金が無くてもできるよね、と思うことも多い。

毎日小さいことでもいいので、身の回りを片付ける事、掃除をすること、きれいにすることを心掛けて、一つでも出来たら、自分を心の中でほめたい。
ほんとマジ子どもだけれども。

最近、長女のお片付け熱と節約熱が半端ない。
もともとたぶん、節約はしたくないタイプ。欲しいものはお金があれば買う、妥協せず。
だけれど、新車を購入してから貯金が減り、でも欲しいものにはお金をかけたい、なので極力お金を使わないところには徹底して使わない、という気持ちになっている。
また、片付けももともとやる気になればがっつりできるタイプなので、自分の部屋だけでなく、家中についても自分事に考えてくれて、勝手に整頓をしてくれる。
なんともありがたいことだ。

それに便乗して私も片付け熱が上がり中。
娘同様、気分次第なのだが、お金が無くてもできる事であり、片付けばすっきりしてさらに掃除もしやすくなる。
分かっているけれど休みの日は、家族が家にいて掃除がしにくいのでという理由でなかなかできずにいた。
これからは早起きして掃除もしていこう。
次女の送迎のおかげで、数年ぶりに5時起きが復活。

そうやって暮らしていけること自体が、幸せだと感じる今日この頃。


ついダラダラと思ったままに綴ってしまったが、日々の思い綴りブログなので良しとしよう。



2022年4月16日土曜日

身体を動かして気持ちよさを味わう

 先日、人間ドックを受けた。人生初だ。

直接医師から数値を見ながら結果を診断してもらった。

今回は特に問題もなく、再検査などはないとのこと。

とはいえ、自分的には、メタボに限りなく近い、血圧もだいぶ上がった、など、

気になる点はいくつもあった。予想通りだが。


2年前からZUMBAというエクササイズを継続している。

始めたばかりの頃は息苦しくてしんどいばかりだったが、

心肺機能は意外と早く順応するものなんだな、と感じた。

人生至上マックスの体重からは少しずつ落ちたが、5キロほど(かな)痩せてから一向に痩せない。

運動をしている安心感からか、コロナで家飲みが増えたからか、痩せない。

しかし、身体を動かす喜びというのを感じる自分になっていること自体はとてもうれしい。

一生そんなことは自分には訪れないと思っていた。文化部出身の自分だからだ。


さらに4月からは、ピラティスも始めた。

総合体育館主催の講座を継続して受けているのがZUMBAなのだが、

継続している人のみ今回のみ、あともう1講座は無料で受ける事ができるという。

色々悩んだ末、苦手な筋トレを行うピラティスにしてみた。


参加してみたら、最初の先生の説明の中に、

痩せます!というセリフがあった。確かにあった。


そして初日が一番きつい筋トレに感じる。

そんなの、こんな重い体に無理でしょ。

でも自分の筋肉を使っている感覚がとてもあり、つらいけれどもここで逃げてしまうのも悔しい。

家では続けられないけれど、ここなら続けられるかも。

人の目があるのは私にとっては大事なんだな。


翌日、さらに翌々日は筋肉痛がひどい。それがうれしい。


これからの自分の肉体の変化を楽しめるよう、継続して身体を動かしたい。

そう思えることもうれしいことだ。

動いているから安心して食べられる。
というのは甘い考えか。。。


2022年4月11日月曜日

客観的に見る。感じたことに素直になる。

 先日ランチをしたお店?が面白かった。

自分の思うままに、でも来るもの拒まずという感じの、ちょっと不思議な人が営む場。


彼はたぶん、他の人から見たら風変りな人だと見られているけれど、

本人も他人のことをしっかり見ている。客観的に。


わが道を行く、は、結構勇気がいることだ。

人の目を気にして生きることを否定はしない。

でも、気にしていたら多分、我が道はいけない。

我が道が分かっていること自体が、貴重なことだ。


我が道には、正解不正解がない。

やってみてどう感じるか。

そこを人の意見ではなく、自分がどう考えるか。

それからまた我が道を進む。

全く逆方向に進むのも、我が道を行くことになるわけで。


自分はまだまだ人の目が怖い。

人から認められてホッとする部分も大いにある。

そういう人生だ。

でもやりたいことや進みたいことが、今可能なら、やらない理由はない。


そんなことを感じながら、限界にも挑んでみたりして。

私の限界は浅いから。

とりあえずやってみる。を繰り返す。

やってみたいなら、謙遜してやらない、とは言わない。


否定の言葉ばかりだな、文章に書くと。

すなおに、やってみたいなら、やる、という。





ここ、不思議な空気が流れていた。
まるで東京の廃校になった小学校などを使ったシェアスペースのような気がした。
静岡にこんな場所があるなんて。





2022年4月3日日曜日

優しさも、サービス旺盛も、その人の欲望を満たしているだけのこと

 あの人は優しい。

あのお店はサービス旺盛だ。

どちらも、お店の人がいい人で、お客さん想いだなぁ、と思いがち。

これは、いやでも頑張って努力して行っているわけではなく、

好きでやっているだけの事。

好きでやっていたら努力なんて苦じゃない。

やりたくてやっているのだから。

やりたい、つまりはその人の欲望。

欲を満たしているだけの事。

それが、相手にとってうれしいことだった、ということ。


つまりは、

自分の欲望に素直になればいいのではないかと思う。


もちろん、自分勝手なわがまま好き放題をしていいという意味ではなく、

でも、わからない誰かに気を使ったところで誰も気づかないし、

心の中で思うのは自由。

やりたいことをどんどんやればいいだけのこと。


50にもなると、先の人生の限りが見えてくるような、

時間がもったいないと感じることが増えてきた。

当たり前の事だろう。


と、昨日訪れた鉄板焼きの店主を見て感じた。





店主の趣味の店なのだ。それを客も喜んでいるだけ。

店主は欲求を満たしているし、お客も満足して楽しめるのだ。みんなwinwinなのだ。



2022年4月2日土曜日

次に進む原動力

 未来を語り、わくわくする時間があった。

正式には反省会。

でも、ダメ出しではなく、よくやったよね、というねぎらいの話ばかり。


反省は、各個人が各々しているもの。

人から言われて、指摘を受けることは、大切なことかもしれないが、

そこにこだわって落ち込むよりも。

もっとこうしたいよね、という自主的な意見が出ることのほうが

生産的で前向きでモチベーションが上がる。


忙しくて、全員で今回の芸術祭について

「こんなことがあったよ」「こんな気持ちになったよ」「今度はこうしたいと思ったよ」という、次につながる振り返りがようやくできて、

心にあったものを伝えることができ、みんなと共有することができ。

本当に有意義な時間を過ごせた。


そんな環境にいられることがとてもうれしく、

感謝しかない。


さて、もう次の芸術祭開催に向けて動き出している。

頭の片隅にはいつもそのことがある状態で、他の仕事にも誠実に全力で取り組んでいこう。


その充実感の余韻に浸るためお一人様で。
にしても久々に外で飲んでやはり飲みすぎたがここでも楽しかった。



これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...