2020年8月30日日曜日

緩やかな雰囲気が島田らしい。

 

駅前の小さな公園で「アジアンナイト」。エスニック料理とお酒が楽しめる大人なイベント。

 

開始早々人が食事を求め並ぶ。全員マスク着用。

 

マスクを外しビールを飲む。数少ないベンチを知らない人同士がシェアする。

 

音楽が流れ、自然と体が揺れる。残暑で汗だく。それでもみんな満足げなまなざしだ。

 

ゆるく地味に胸が熱くなるイベントだった。







158文字

2020年8月28日金曜日

ご縁がありますように。

知らない人同士が出会う場、というと

どんなところ想像するだろうか。

私が管理させてもらっている場がそれに当てはまる。

コワーキングスペースですけどね。

たまたま同日同時刻に居合わせた男性二人。

特に紹介をしたわけではないが。

私たちの雑談を聞いていた彼らはいつしか

会話を始めた。しめしめ。

 

そんな様子を見るのが実はうれしいということに気付いた日。





2020年8月27日木曜日

160文字で自分の一日を振り返る

 ということを実践していこうと思います。

今後はタイトルにそのタイトルを入れていきます。

早速今日から昨日一日を振り返ります。


<どんよりした気分は次へのステップ>

「大きな修正が入ります」と連絡がきた。

その一文で私の気持ちはドスンと落ちた。

書いたのは長めの記事だったが、必要なことを網羅してわかりやすく、ほぼ良いと言われていただけにね。

しかしこれも勉強だと思えラッキーだと思えたのは

ソトコトオンラインの編集講座で学んだからだ。

ネガティブはもったいない。せこい私は意外と気分屋なのだと気づいた。




ーーーーー


なかなか短い。なかなか長い。

ここに書くだけでも字数がわかるといいのにな。。。


2020年8月25日火曜日

イラつくときの自分の立ち位置を見つめる

 他人の言動が気になる、イライラする、

というときは、自分の正義感が顔を出しているときかと思うのだが。

自分はいったいどの立場でそういう気持ちを湧きだたせているのか。


人に上下、優劣はない、と自分で書いているけれど、

きっと上下、優劣を感じているときなのだと思う。


私の方が「正しい」

という、正義や正誤をジャッジしているのだと思う。


なぜそんな風に自分のことを正しいと思いたいのか。

正しいことは水戸黄門のように悪い人を成敗し、正しい人が世の中で必要とされるから、

という過去の刷り込みがあるのだろうか。


私の中に一番強くあるのは、

人に迷惑をかけないこと

という気持ちがある。


人に迷惑をかけるにもいろいろある。

明らかに迷惑をかけている(いわゆる非常識な行動だったり、命に係わる行動をされたり)

こともそうだけれど、

人によっては「ありがとう」と思うことでも、「やめてくれ」と思われるような

同じ行為でも受ける側の受け取り方によって迷惑と感じる場合もあるということ。


それは相手次第であり、自分にはわからないものなのだ。ということを認識していたほうがいいのだろう。


ただ私が得意なのは「気遣い」「相手を慮る」「相手の立場に立って」ということ。

それすら、迷惑なことになってしまう可能性があるということ。


そんなことを言っていたら何もできない。

つまりは、相手のことを考えず、自分の思うとおりにやればいい。ということにつながる。


ただ、自分はそう行動していたとしても、

相手から「やめてくれ」と言われたら初めて辞めればいいのか。


また、相手が好きなように言動を繰り返しているのをそばにいてイライラし続けるのを我慢していることもどうだろう。

嫌だよ、と思った通りに伝えればいいだけのこと。


それができていたら楽だろうし、

仲良くできる友達も限られていくだろうし。

嫌な人と関わらなくてもいいだろうし。


また仕事上、嫌いな人とも付き合わなくてはいけない状況は往々にある。


イラついたときには自分はいったいどういう位置にいるのか。

なぜそう思うのか。

その言動辞めてくれ、と言ってしまってもいいモノだろうか。

など、その都度考えていくと、ちょっと冷静になるだろうか。

逆にもっと熱くなってしまうかもしれないか。。。


明らかな迷惑行為でない以外はなかなか言い出しにくいもの。

そういうときにもスムーズに対人関係が築ける人になりたいものだ。

2020年8月24日月曜日

地域で活動や商売をしている人を応援したいだけ

 救うとか、手助けするとか、アドバイスするとかではなく、

頑張っている人、素敵な人たちを応援したいだけなんだ。


私の住む街は、人口10万にも満たない街。

昭和に栄えた商店街は今はシャッター通り。


この商店街含む、中心市街地も、近隣市町に比べたらちょっと寂れているかもしれない。


でもね、今まちづくりをしている民間団体さんや、国の方も、

ここにはポテンシャルがある、と口をそろえて言う。


じゃ、何をしたらいいの?

古い建物を壊して新しい何かを建てる?

リノベーションして入居者を募る?

今住んでいる人たちを説得させてもっと賑わうイベントをいくつも仕掛ける?


そんなことを近年同じような街であちこちやった結果も見えてきている。


結果。それぞれなのよ。

街に住む人がまずは一番大事。

街に住む人たちがどうなりたいのかという想いがあるのかないのか。

どうなりたいのか、考えるきっかけをまずは作ることから。だと思う。


私は街中活性の活動をしたいわけじゃない。

賑わいを作る、ということも違和感を感じる。


賑わわなくてもいいんじゃないかって。

シャッターが閉まっている場所がいくつもあったっていいじゃないかって。

そこに住む人たちが、穏やかに暮らせているのなら。

穏やかに暮らす、のと、ただ静かにつまらなく暮らす、のは違う。


でも人との交流は必須なわけ。

無理やりではなく、穏やかで必要なだけで十分。


商店街すべてにお店が入居して、人々が訪れて賑わう画というのはどうだろう?

私は息苦しくてそこに行くのを避けてしまうだろう。


つまりは、余白がほしいんだ。

遊び、緩み、隙間、そんな部分がある。私の住む街。

だから、ポテンシャルがあるんだと思う。何でもできる。何もしなくてもいい。どっちでもいい。


でも、住んでいる人たちがとてもいい人たちだということも重要で。

無理して何かをしかけられたら断る人たちかもしれないけど

緩く、自然と、なんとなく、

隙間を開けて、いい距離感で。街を活用する人たちがちょっといたら。

居心地重視の街になったらいいなぁ。という想い。


とはいえ、私がやりたいのは、

場を作るのではなくて、今ある場や人たち、活動を、

地元の人たちにまずは知ってもらう、

知ってもらい愛着を持ってもらう。

そのあとに、全国、世界に地元の日常の情報を発信し

ふらっと来た旅人に対しても、

地元の人が地元を紹介できる街になること。

それを地道にできたら、おもしろいのかなと。


まずは私自身が、この街を好きになるべく、まずは知る作業から。

そして個人目線で、この街の良さを伝えられる言葉を紡ぐ力を身につけたい。


自分の名刺を持った方がいいと言われたのだけど、

何をする人なのかを名乗るのがまだ見つからない。


今自分が一番興味のある活動が「LOCAL DIVER」なのだが、

そこで地域の「ローカルキュレーター」を募集している。

まさに私がやりたいことが、「ローカルキュレータ―」という名称がしっくりくる。

地域の、学芸員。専門家。

学芸員なら、知識はもちろんだが、それを人にわかり易く伝えるのも仕事ではないか。

まさに、地元のキュレーターになりたいのだ。


うん。今日はとてもしっくりくる文章だな。




2020年8月23日日曜日

先を不安に思う前に動こう。

 これをやったら、あの人から何か言われるだろうか。

これはホントはやりたくないけど断ったら申し訳ない。

私なんかにこんなことができるのだろうか。


これらすべて、自分が勝手に考えた妄想にすぎない。

やってもいないうちから、勝手に不安を作り出して、

やらない理由にするために自分が作り上げた、妄想。


そうなんだよね~つい不安が先行する。

でもそれで「だから、できないんだよね。仕方ないじゃん。」っていう理由がほしいのか。

つまりは、やりたくないってこと。なのか。

本心でやりたくないのかもしれない。やりたい気持ちがそんなに大きくないだけなのかもしれない。本気で考えていないだけなのかもしれない。


だって、本当にやりたいことなら。すでに行動に移しているだろうから。


「あ~~コーヒー飲みたいな。ちょっと買ってくるね」

って、買ってるじゃん。飲みたいからでしょ。

「転職したいんだよね。ハローワーク行って相談してくるわ」

っていくじゃんね。転職したいんだもんね。


そういうこと。


確かにその先どうなるのか不安になるのは

なってしまうんだから仕方がない。

でも本当にやりたいことなのかを考えるいいきっかけを不安がくれると考えればどうだろう?


なんですんなり進まないんだろう、

本当にやりたいのかな?

具体的に何をやりたいのか?

とか考えることができるかもしれない。

だから、不安になって突き進めない時期には、色々考えればいい。


あーーインプットをしたいな。



2020年8月21日金曜日

素直に活動している人は目が輝いている

 個人的な感想なのですが。

素直に好きなことをやっている人は、

それが仕事であれ、趣味であれ、

とても目が輝いていると思います。


また、未来の話をするときにも、

こんな風になりたい、やりたい、という希望の話をしているときには

目が輝いているように見えます。


どんなに、汚れた服だったとしても。

それが好きなことをするための労働の為に汚れていたのだとしたら

とても輝いて見えると思います。


自分はやってみたいことがあっても、

まだなかなか一歩踏み出せない。

というか、

人のせいにしてしまう。踏み出せない理由を。


うーーん。

踏み出してみるための相談はしてみようかな。


やってみたいことを語る自分の目が、

キラキラしていたよ、

と言われたことがあった。


それを、信じます。

2020年8月20日木曜日

このブログについて

 改めまして、

このブログについてお伝えします。


私個人のその日その時に思ったことを綴っただけのブログになります。

あとから見返して修正することもなく、

文法的に間違っていたり、

わかりにくい表現だったり、文章だったりします。

でもすみません。

書き散らかせてください。


まだ誰も見ていないと思いますが、

とりあえずちぐはぐな文章であることの言い訳を書かせてもらいました。


よろしくお願いします。

インプットとアウトプット。少しずつ幅を広げたい。

 いろんな人と出会うと、刺激を受けて、

とても勉強にもなるし、自分へのインプットとなる。

でも、あまりに多すぎると(個人差がある)

頭の中が飽和状態で、ぼーーーっとしてしまう。

動きも遅くなり、レスポンスも遅くなる。

せっかくいろんな人とつながったのに、その後の連絡が遅くなるというやつ。

遅くなればなるほど、関係性が薄れ、意識も薄れ。忘れていく。


そうならないように、本当はレスポンスは早い方がいいのだろう。

でも、たとえ多少遅くとも、

「あなたのことが気になっていたんです、出逢えてうれしかったです。

今後もつながりたいです、知りたいです。」

という意思を伝えることは大事かなと思い、遅くなっても連絡はしよう。


その時に、自分のことをどう伝えるのか。

ただ自分が知りたいだけで、相手をもてあそぶ(前にも書いた、相手に相手のことを紹介してもらうだけして、それで何になるのか。と思われること)

のはもったいない。

きちんと、自分が何者で、何をしている、何をしていきたいから

あなたのことをもっと知りたいのです、

が伝わると、相手も快く教えてくれるのではないか。

つまりは、お互いがwin-winの関係になれそうだな、と思えば、ということ。


自分の今後の活動に役立ちそうだからもっと知りたいというのが本音のハズ。

お互いにね。


人と出会う機会があると、そういう目で相手を見てしまうのはどうかと思うが。

せっかくの機会、お互いの知識や活動の幅が広がり、お互いのメリットや楽しみが増えるのであるなら、

インプットの幅が広がるといいなぁと思うわけで。

頭がぼーーーっとしてしまうくらいの容量では狭いのかなぁと。

これも徐々に鳴らして増やしていけたらと思う。自分のキャパというものを。


そしてアウトプットするときには相手から知りえた情報を自分なりに受け取り、

自分の言葉に変換して伝えられたらいいのだろうな。

自分の想いを相手に伝えることってホント勇気が要るもの。

でも伝えないとつ伝わらない。自己完結できないだろうからゴミがたまる。(ストレスね)


無理して伝えなくてもいいけれど。

これは伝えたい、この人には伝えたい、

というときにスムーズに伝えられる力を身につける練習や準備はしておこう。





2020年8月11日火曜日

だいたい、勝手に、決めつけている。

 というのは、自分が自分へ向けて。

自分のことを、自分でこういう人間だろう、と決めつけている。


やってみたい、けれども私の能力ではそれはきっと無理なんだろうな、

って思っていたことがあったのだけど、

それをちらっと言ったら、


やってみればいいじゃん、全然応援するよ!!


と言ってもらえた。

ビックリした。


無理だと思うのはなんでだろう。

自分の能力を低く見ているのか、

本当はやりたくないからなのか、

なんでだろうね。

今は自分も保守的な感じなのか・・・


でも、今後のことを考えると、このままでいいとは思えなくて

でも流されているような気もしていて。

今のまま継続してくと、来年度の未来も予想がつくのだけど、

本当にそれでいいのか、ちょっと暗い未来じゃないか。

それも明るく自分が替えればいいのだろうけども…


ま、とにかく今は、

その、やってみたいと思ったことをもっと知ること。

知る機会があるのでそこでもしっかり学ぼうかと思います。


そう、今の状態が続いた先が暗い未来じゃないか、

と決めたことも自分。

無理かもしれないと思ったのも自分。

勝手に決めつけちゃっている部分がある。

そうではなくて、じぶんのことすら、

ちょっと疑ってみるのも面白いのかもしれない。


何を信じたらいいのか、わからない時代だしね。

探って見つけて迷って信じて進んで行けば。


答えは一つじゃないんだしね。

想いは溜めずに出す。でもごみは出すな。ってか。

 先日、共感する部分が多い人たちと飲んだ。

でもすべてが全く共感、というわけでもないからおもしろい。


客観的に相手を見たり、

全身全霊でうなずいたり。


お互いの想いを話し、放し。

受け止め、自分のフィルターを通して自分の想いも返す。


それでよいと思った。


やはり想いは溜めていてはだめだ。

人に話すことは大切だと痛感した。


それで現実も未来も変わらないのかもしれない。

話した本人すら、その話したことを忘れるかもしれないし。

考えが変わるかもしれない。


それでも、今沸き上がっている想いを人に話す。

つまり言語化することは、とても必要だと感じた。


ってか、今頃それに気づいたわけではないけれども。


ただ、やはり人に話すときの話し方で、

それが共感を得るものなのか、客観的に見てもらえるものなのか。

聞きたくもないゴミになるのか。

違いが出ると思う。


それって、その話す人が持つ元々の性格だったり、人やモノの見方だったりするのでは?と思うわけで。


嫌いな人のことをどう見るか。にしても、

嫌いだとしてもその嫌いな人の人格までは否定しないでいてほしいのね、私としては。

吐いて捨てるような言い方はするけれど

馬鹿とかいうけれど。

でも、ちゃんと人として。そういう生き方をしている人なんだな、という部分は持ち合わせているつもりだ。

私の発言でそう捉えられないとなると私がやばいのでしょうが。。。


とにかく、

想いは話したい。

話せる相手がいることがとても幸せですーー

2020年8月7日金曜日

それぞれの役割があるということ

 最近、連日個店商店さんへ取材に行く。

そこでお話を伺い、

どんなお店なのか。どんな思いでお店を経営しているのか

どんな思いからその商品が生まれたのか

どんな特徴があるのか

なぜそれを作ろうと思ったのか

それを手にした人の感想は

どんな未来を考えて、今お店をやっているのか


などなど

具体的な話を聞く中で、そのような部分が聞き出せている。


それを聞くと、結局どのお店も、儲けよりも来てくれたお客さんを大事にしていること

自分が心地いいものだけを提供すること

つまりはお客さんにもいいモノだろうとの想いから・・・


人のためであり、自分のためでもあることがよくわかる。


特に飲食店が多いのだが、

「これをたまには食べて、ゆっくりしてほしい」

「野菜がたっぷりなので体にいい」

「添加物などを使わず優しい味とメニュー」


と、身体によくておいしくて気持ちも嬉しくなる、

という部分がほぼ共通していた。


きっと世の中のお店のほぼどこのお店も、

そんな想いは持っていると思う。


コンセプトの違いはあれど、

どこかしらにそんな想いが必ず込められている。


お客の立場であれば、そんなお店で是非飲食をしたいと思うものだ。


違うのは、作るのに見合った労力、誰がどうやって作ったかによる、「金額」の差か。

そして客の求めるものも、

そこそこの味、そこそこの量、格安、

を求める人は、こういうお店には来ない。


それも選択だ。


それぞれの環境で、それぞれの趣向で、

求めるものが違うのが人間。


ニーズに合ったものを提供したいという思いを持つのも人間。


これからの時代、今までもそうだが、

何を求めるかを自分で選択することがさらに重要になってくると思う。

どれがいらなくてどれがいる

ということではなく、それぞれ役割があってどれも必要なのかもしれない。

それを、選択するだけのこと。


私は、

作り手が見える安心なものを手に入れたい、と最近殊に思う。


洋服については疎いので、今後学びたいなぁ。。。

2020年8月5日水曜日

普通って普通じゃない。

人によって、普通とか常識の感覚は違う。
自分にとってそれが普通だと思っていても、
他人はそれを普通だとは思わない。

それは、自分が生きてきた環境が普通というものを作るからだ。

一番大きな影響を与えているのが親だ。

私の世代が、親の作った環境が普通かどうかを確認するには、
学校の宿泊訓練や友人のお宅へのお泊り、
一番大きいのはテレビだろう。

今はテレビの力も衰え、私の子どもたちはあまりテレビは見ない。
でもYou Tubeで素人のありのままが流れたりすれば。
それをみて、自分との違いや同じを確認することで
「普通」というものの感覚がわかるのかもしれない。

そう、自分ではその感覚は無意識のうちに作られているので
自分は普通だと思っていることが他人では違うことは往々にしてあるのに、
まるで自分の普通が世間の普通だと思い込んで、
他人が自分と違うことで驚いたり、慌てたり、怒ったり、罵倒したり。
そういうことも往々にして起きる。

それをみて、なんで怒っているのか、怒られた側もわからない。
なぜなら普通の概念がその人と違うから。

怒るのも、わからないのも。どっちでもいいんだよ。

ただ、自分と他人の普通は同じじゃない。常識も同じじゃない。
ってことを理解していれば。

「あの人はいつも人に教えるときに怒鳴って怒っている。なんで??」
と思われる相手は
「いつも大きい声で教えてあげているだけなのに、なんで怒っているって言われるんだろう」
と思っていたりする。

客観的に見るためには幽体離脱でもしない限り無理かもしれないが
(むやみに隠し撮りするのはいかがなものか)
自分の行動が相手にとってどんな思いを与えるのか、
を、勝手ではあるが慮ることは、AIには難しい、人間らしいことじゃないかな。

1人1人が何を思っているのかがわからないから人間って良いな。
前にもそんなこと書いたかもしれないが
だからこそ言葉と表情を使い、相手に伝えたいことがあるなら精いっぱい伝えればいい。
あいまいにしたいならあいまいな表情をすればいい。言葉にすればいい。

誰もが自分と違うけど、
優劣も上下もない。同じ人間。

助けるのではなくて応援するというのがいい、
というのをどなたかのブログで拝見したが、私もそれに同感。

みんな独立した完璧な人間であるに間違いない。
いろんな表現や考え方があるからこそ。この地球は面白いと思う。

2020年8月4日火曜日

人を追い詰めていないか・冷たい人とは

腑に落ちないこと、
明らかに向こうの落ち度や失敗、間違いだったこと、
それによってこちらが不利益を被った時。

怒りますよね。

「私は怒っています。
あなたはなんてことをしてくれたのだ。」
と相手を責めますよね。

客観的に見て、相手が悪かった場合、怒るのは至極当然のこと。
相手にもその感情が伝わった方がいいと思います。

ただ、その怒り方とその後の対応によって
その怒った人の度量とか性格とかがわかる気がします。

金銭で解決してほしいのか
土下座してほしいのか
永遠に怒り続けたいのか
相手のことを思って怒っていますよ(←余計なお世話ですが)、ということなのか
とかね。

第三者が見ているところで、怒りをあらわにし、
自分の正当性を主張し、
どうするんだ!!と相手を追い詰め、
どうしてほしいかは伝えず。
怒り続ける。

それは無責任というものだ。

その場を去る結果を出したとしても。
後味は悪くてももうそれは仕方ない。

失敗を犯した人が謝り続けている中、
責め続けることは、その人を追い詰めていないだろうか。
精神的に。

私は個人的には、第三者だったとしたら、実は無関心だ。
だって、当事者の問題だから。

ただ、そのやりとりを第三者として見ていたとしたら、
どちらの人とも、
友達にはなれないかな。
一緒に仕事はしたくないかな。
どちらかと仕事をするなら、
失敗した人と仕事したいかな。

というくらい。

優しさってあったかいもののように感じますが、
実はけっこう冷たいものだと思っています。

人間なので、好き嫌いの好みはあります。
いい人でも苦手って場合も往々にしてある。
好き嫌いをきっぱりしているのが冷酷な人だとしたら、その人は実は優しいのです。

私は優しくないので、あたたかく相手を見守り、自分を守り、苦手な人から離れ、陰で本音を言う。本人には言えずに。
一番冷たい人だと思います。




2020年8月2日日曜日

確かに毎日が奇跡。だけれども。思考を止めるな。

生きてるだけでまるもうけ。とか
毎日が奇跡の連続。とか

確かにその通りだと思います。

でも、そうそう毎日意識して生きていないのが現実。

でも、本当にこれは奇跡だ!と感じたり、
これは運命なんだ!と感じたりすることも、
生きている中でありますよね。

特に人との縁は、びっくりするような出来事ではないかもしれないけど、
今の自分の立ち位置を決める大きなもの。奇跡だと言えると思います。

ちょっとした決断やで出会いの積み重ねが、
無意識な毎日を送ることで、振り返ると大きな変化を起こしていることもある。

長い人生を生きてきた人の言葉に重みがあるのは
そういう経験をしているからだろう。

毎日私たちは、決断をする日々だ。
その決断が、自分の未来の方向を決めている。

そう思うと、結果毎日が奇跡、ということになるのかな。

今の自分に不満なのは、不満を選んだことになる、って言うと自分が嫌になるけれど
それを選ぶ運命であり、それもこの先の人生に必要なことだと思えば
この先の未来を明るいものにできるよね。

考えを止めないこと。ですな。
たまには思考を止めて、ゲームや陶芸や音楽などに没頭することもいいね。
でも常に考えは続けていたいと思う。

これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...