2020年12月27日日曜日

寝ている間にわかる、負のエネルギー

飲み会などでいろんな話をざっくばらんにできて、

本音を話せて、楽しかった、ということがほとんどなのだけど、

その夜、眠っていても、なんだかうなされて目が覚めてしまう。

その後も寝ようと思うが、なんだか心がモヤっとしてイラっとして、

なんとも気分が悪い、という時が、

今まで生きてきた中で、数回ある。


夜飲酒すると、すぐに寝落ちするが、眠りが浅いのか、夜中に目が覚める。

つまり、ぐっすり眠れない。

年齢のせいかもしれないが。。。

明らかに、飲酒しないほうがぐっすり眠れる。


それとは別に、

一緒に飲んだ人と会話なりをして、

私の脳なのか、それとも見えない何かなのか、わからないが、

家に帰ってから、特に寝てからが、えらく疲れるときがある。


あの感情は一体なんで、夜寝ているときにそんな風になるのだろう。


私の想像だけど、

正当なことであれ、悪質なことであれ、

言葉で文句や愚痴などをたくさん吐き出すと、

マイナスのエネルギーが放出されて、それが身にまといつく、

もしくは、脳にインプットされて、普段あまり耳にしない言葉だったり想いだったりするので、リラックスしているはずの寝ている間に再生されてしまうのかなとか。


共感しているからこそ、想いやエネルギーが強くて、それがまたマイナスのものだから受け入れがたいものとの葛藤が現れているのかなぁ。。。


よくわからないけれど、

布団をたたきたくなるような、どうしようもないのに、何も今起こっていないのに、

イライラしてたまらない感情が沸き起こることがあります。


共感しているマイナスの想いを、否定して、そんなマイナスに思ってはいけないよ!

となるとさらに自分の想いを否定することになるだろうから、

それもまた苦しくなるだろうし。


マイナスなこと(愚痴とか)はつい暴走して熱く語りがちだけど、

冷製に、客観的に、言えるようになればいいのかもしれないね。


人から受けるエネルギーに自分の体が反応しているかどうかは、

想像の範疇なのでわからないけれど、

最近直観を大切にしたいと思うからか、

雰囲気とかオーラとか、なんとなく感じるものは大切にしないとと思う。

それは目に見えないエネルギー的なものに影響を受ける自分だから、ということなのかもしれないけれど。


世の中には、そして人間の心身というものも小さな宇宙というが、

まだまだ未知な部分が多い。

知らなくても生きていける。

楽しいことややりたいことにフォーカスしますか。

2020年12月24日木曜日

文句を言う前に動く、前に他を見つめよう

不平不満は、意見を言った後に言えばいい。

意見を言えないのなら、文句は言うな。

意見を言うということは、伝えたいことをしっかりと伝わるように言語化しないと。

それをめんどくさがったり、誤解を恐れたら言えない。

私はそのどちらでもあるので、意見を言わない。

文句を陰でいう。

 

それは、一方から見たら悪いことかもしれない。

言い訳次第では、当然のことかもしれない。

 

人なんて、自分の思ったように人のことを見るものだ。

私はどちらの目でも見ていたいと思う欲張りだ。

八方美人で生きていきたいのが本音だ。


意見を言わずに文句も言わずに、波風立てずに生きる。

のは、結局つまらない人生なのかな。

いや、他に見るべきところがあって、そこを見つめてやることをやればいいんじゃないかな。


こぼれる酒を見るのは贅沢な時間。


 

2020年12月23日水曜日

話すは放す。だからすっきりする。

気心の知れる仲間とじっくり飲んだ。

思いのたけを話し、聞いてもらい、共感した。

なんとも心地よいひとときを過ごせた。

 

思いを言葉にすることで、そのことを

「意識する」

音にすることで、そのことが

「耳に入る」→「脳にインプットされる」

ので、ネガティブな言葉は言わないほうがいいという。

(自分に言われていないことでも、聞こえてしまうと嫌な気持ちになるのはそういうこと)

 

でも、話すことで、手放すことができるともいう。

ずっと胸の中にあって詰まっていたものを、

話すことがやっとできた、聞いてもらえた、という気持ちになり、

結果、つかえてものが離れていく、ということもあるだろう。

 

ネガティブな気持ちは生きていれば必ず起こる。

汚い言葉も言いたくなる気持ちになることだってある。

でもそれを口にしたからと言って、

そこに囚われ続けなければ、

その後前を向いて元気になれる話の流れなら、

必要な工程なのではないかな。


と言ってまた飲む口実を作るのだ。

飲み会翌日のランチ。心身にやさしい味を求めて。


 

 

2020年12月21日月曜日

やりたいことを書き出す、伝える

年末が近づくにつれて、来年のことを考え出す。

特に来年は節目の年。

自分のことだから他人のせいにできないのはいつでもそうだが、

来年は特に、自分の意志を強く持って行動していくことになる。


守ってくれる人もいない。

自分の力のみを信じて行動することのなんて恐ろしいことか。

どこかに所属するとか雇ってもらえるほうが、とても気が楽だ。


その範囲の中での責任を果たせばいいから。それ以上のことは自分の責任ではないから。

そんな生き方もいい。というか、それしかしてこなかった。


一旦、そんな守られた世界から離れてみる。

どんな風に自分は動くようになるのかな。

自由を謳歌するのか、自由を恐怖と感じるのか。


やってみなけりゃわからない。コレ、私の座右の銘。

寒いときの温かいもののおいしいこと!
やってみてわかることはたくさんある。


2020年12月20日日曜日

こころ癒す時間

最近身体の調子が今一つ。

元気だし、動けるのだけど、なんか違和感というか、体を動かしにくい箇所がある。

とはいえ、痛みやしびれがあるわけでもなく、

運動もいつも通りにできる。

しいていえば、気になる箇所は重だるく、マッサージしてもみほぐしてもらいたくてたまらない。

 

実際ストレッチポールでもみほぐすと楽になる。気にならなくなる。

一体何の症状なのだろうか。。。

 

といいながらも、体を動かしたい気持ちだけは変わらないので、

金、土、日と3日連続で有酸素運動をしてきた。

日曜日は汗だくになってすぐに着替え、講座に行くため自宅より北へ向かった。

大自然に囲まれたログハウスの中で、地元産の素材だけで作るお正月リース。

この場でこの講座に参加する、と決めた人たちに悪い人はいない。

初対面でも気遣いつつも楽しくできるところが素晴らしい!

 

センスがないながらも、何とか完成。

自己満足だが、世界に一つだけの作品が完成。

早速家に飾った。

 

こんな癒しの時間は優雅かもしれないが大事なひと時。

身体のケアにもつながる気がする。




 

2020年12月17日木曜日

人徳がない?そもそも欲しい?

困ったときに助けを求めたが、応えてもらえなかった。

そんなときに、

「あぁ、自分はそれだけの人だったってことか」

と気づく。

「応援したい、助けたい、って思ってもらえないやつなんだ。」

と、自意識過剰な感情が湧くんだな、自分は。と気づく。

 

さらに考えてみると、

「いや、そもそも、自分のことを応援してもらいたい、と自分は思っているのか?」

 

私に注目しなさんな。そっとして。ほっといて。関わりたくない。

そんな思いをもって、人と接していることがあるのではないか、と。

面倒なことはやらされたくないから、頼まれごともやんわり断ることがあるのではないか?

 

関わりたい人にはがっつり関わっている。そうでもない人はそれなりに。

それなりにが多いのかもしれないな、自分。

 

それでも、「自分は、あの人の頼みならなんとかしよう」って思うんだけどな。

片思いだったな。

それが寂しい気持ちにさせたのかもしれないね。

それすら、自意識過剰な思い込みってやつですが。

人の心が目に見えないものでよかった。

ドリップバッグでも丁寧に入れればコーヒーはおいしく応えてくれる。
これは激ウマ


2020年12月16日水曜日

外は寒いけど、心はあったか。

前回の記事と絡むけれど、全く逆のこと。

最近急に気温が下がり、外に出たくなくなる季節。

「寒い寒い~」と言いながらも出かけるのは、

そこまでしてでも会いたい笑顔があるから。

 

寒くても、その人と会って話すと、心があったまる。

人の言葉や対応って、感じる気温さえも変えてしまう力があるよね。

 

そういう人になりたいものだ。

午後5時の夕方の空。薄い月と星と、空のグラデーションを見てあったま・・・らない、寒いっ!!


2020年12月13日日曜日

おいしさに影響あり!

いくら上質な材料できれいに作られたおいしいものも、

作った人の心次第で、味に影響が出るはずだ。

 

お客様は神様だとは言わないが、それでも買いに来たお客様に「いらっしゃいませ」や「こんにちは」という挨拶は、必要じゃないかな。

 購入するこちらが「ありがとうございます」と言っているのに、

何も応えないのもとても残念だった。

そんなお店が私の住む町に存在するなんて、悲しいことだ。

そして、二度と行かないだろう。実際、味は大したことがなく感じた。

それは私が不快に思ったからこその味だ。


作り手の顔が見れるものは、安心感、信頼感、親近感がわく。

作り手への感情が、味そのものにプラスされることは間違いないだろう。

おいしくもなり、まずくもなる。


2020年12月10日木曜日

具体的に進むタイミング

こうしたい、あれをやりたい、という思いはあれど、

それをどれから、いつから、という具体的なことを考えるのはいつ?

 

実は、そう思った「今」なんじゃないかと。

目の前のやるべきこと(ご飯を作る、お風呂に入るなど)と同じタイミングで

やりたいことを具体化していくことを進めていかないと

いつまでたっても進まないじゃないか!

 

と、焼き肉を食べながら思った昨日だった。

これだ!と意志を持って進めば偶然の出会いも生まれることもある


2020年12月9日水曜日

未来へ可能性をつなげる仕事を、目の前のことからコツコツと。


尊敬する仕事をしている人と話ができる機会があった。

いろんな視野があり、先見の明がある人だと感じる。

それは頭で考えるのはもちろんだけれど、実際に身体や五感を使って動いた結果であると思う。

人と関わり、人の想いを受け取り、自分の想いを発信し、共感者を増やしていく。

誤解を恐れず、目指す社会の持続可能で明るい未来のために、とにかく動き出してしまう人を心から尊敬する。

ありがたいことに身近にいる。私も一緒に行動できるように心身を鍛えておこう、そしてともに動こう。

空は青い。それは今のところ不変。


2020年12月8日火曜日

とにかくインプット欲。

今、本を借りて読んでいる。

本を読みたいと言いつつ、スマホで時間を消費してしまうのは・・・

なんでだろうか。読みたくないのか?思考を止めたいのか?

でも今は、借りた手前もあるが時間を見つけては読んでいる。

読むとやはり本は楽しい。

この楽しさをいつも味わえる大人でいたいものだ。

一見関連のない2冊。間に私がいることでつながっている。



2020年12月7日月曜日

引きずられないように。感情の切り替えを。

楽しい時間はそれは思い切り楽しめばいい。

思いの丈を話せる相手がいることは幸せなことだ。

でもその時の感情だけで毎日が暮らせるわけではない。

感情を出すとスムーズにいかない場所では、気持ちを切り替える必要がある。

人の感情の波というのはこういう時にも感じるものなのだろう。

勝手な思い込みで現状との乖離を生んではいけないな、と感じる今日。

二面性があっても人間らしくていいのではないかな。

痩せたいと言いながらも食べたいから食べる。これも2面性?



2020年12月3日木曜日

感じ悪いかもしれないが、自分がそうさせている。

感じの悪い対応からは避けたいけれど、

感じ悪い対応をする人を責めたくもなるけれど

そうさせているのは実は自分だったりする。

だから、ただ受け流そう。時を流そう。

より良い方向に、自分の意識は向けよう。

自分はどうしたいかを考え続けよう。

辛い物はストレス解消のために食べている気がする。


2020年12月2日水曜日

ブログをいくつも書き分ける?

前にも投稿しましたが、

このブログは私の日々の想い綴りなので、

これといったテーマもなく、有益な情報もありません。


でも自分が書いた文章で誰かの役に立ち、

それが収入につながったらいいのに、

なんて野望が無きにしも非ず。

 

テーマや目的に沿ったブログにしないと、ごちゃまぜの見苦しいブログになってしまう。

となると、いくつもブログを所持することになるんですよね。

 

いつか、ひっそりと始めてみようかな。

食べ物の紹介ブログは外せないでしょう。経費かかりすぎ!




 

2020年12月1日火曜日

丁寧な暮らし。

 時間に追われて、やるべきことを優先して、

無駄な時間も費やして、毎日が終わる。

何か一つでも、丁寧なことをしたいと思いながらも・・・。


料理を丁寧にやりたいと思っている。

レトルトやお惣菜に頼らない生活をしたい。

野菜と魚を食べたい。

丁寧な暮らしは意外とすぐにできること。

 

と、意識して暮らそう。

自分が食べたいと思ったものは意外と丁寧に作っていたりする。つまみだけど。


これが普通になっていく。

 今の時代の最先端を進む人と出会った感覚があった。 やりたいことはぶれず、そのことを一番に考えている。 順番を考えたときに、この仕事をまずはやってみる。 限界を感じて次の職種へ。 目に留まったもの、人から声をかけてもらったもの、 読んだ本や出会った人からの影響で進んでみたもの、な...