人が勝手に作るイメージについて、考えさせられることが重なった。
また、自分は何者なのか、何をしている人なのかを話すことも重なった。
確かに。自分も勝手に人のイメージを作って、ああいう人だろう、と決めつけていることがあるかもしれない。人の振り見て我が振り直せと言われているのか。
・インスタの投稿でいつもおいしい外食を食べているから、お弁当なんて作らないのかと思った。
・家族全員が働いているのだから、お金に困っていない生活を送っているんでしょ。
・いつも●●さんの横にいる人だよね?実際何をしている人なの?
・運動神経がいいんだよね?だってバランスボール教えていたし。
・ジャズやっているんだ!すごい、かっこいい!!
などなど。
お昼に手作りのお弁当食べるとは思わなかったとか言われた時には、ぶっ飛びそうになったけどね。それはまた飛躍したご意見を目の前の私に言いますなぁと。(ちょっと失礼だよね)外食もたまにはするよ。その時だけインスタに上げているわけで。
確かに子どもたちももうみんな就職したけれど、だからといって経済的に余裕はぜんぜんないんだけどな。私の収入知らないでしょ、うちの借金も貯蓄額も知らないでしょ。そういわれるんだな、と衝撃だった。
ジャズをやっているといっても、パラパラとアドリブが吹けて、暗いバーの一角で演奏するようなイメージを持つ人もいるかもしれない。サックスを吹くというと、それだけでかっこいいというが、うまく吹ければそりゃかっこいいさ。私はほんとに下手の横好きなだけ。知っている人は知っている。
それに、音楽を続けているというと、それだけでお金があるんだね、と思う人もいるだろう。楽器は買えば高額だしね。さらに趣味が多いと、それも経済的に余裕があると思われがち。ズンバだって、専用の衣装?服を用意しているし。参加費だってかかる。確かにね。
確かに人は勝手に思い込みで人のことを決めつける生き物だ。
確かに我が家が貧乏でも、他人からはそう見えるってことは、実際とか事実とかって、なんだろうね。
貧乏とお金に困っていないことの「基準」も人それぞれで。
人は自分の思い込みで生き続けているからね。他人の意見を信じるという思い込みで生きる人もいるし、誰の意見も聞かずに自分の思い込みだけで生きる人もいる。
つまりは、人の思い込みと実際の自分の思い込みが違うのは当然で。
他人の思い込みに振り回されることほど時間と感情の無駄である、ということか。
私は私。もうこれで50年生きてきた。
今後もこんな感じでやりたいことをやれる限り、やって生きていくのだろう。
先の不安はないとは言えない。でも今それを心配しても。備えは無いけれど。でもなぜか根拠のない自信だけはある。
なんとかなるってわかっているから。
店名は言えない。